大野更紗データ


Bloggerより

成る程、負けない戦い方ですか。

文藝春秋 2010年 10月号 [雑誌]

文藝春秋 2010年 10月号 [雑誌]

id:shohojiさん、id:soneakiraさんのリンクを辿って北原さんのブログで「村木厚子さんと東電OL」を読んだのですが、なるほど、村木さんと東電OLと対比すると色々と見えてくるものがある。
ところで、この記事のネタは文藝春秋10月号に収録されている江川昭子さんがまとめた村木厚子さんの手記なんだねぇ。明日、図書館で読みます。

コスメ時代/女子力とは/ユニクロさかえて


まっちゃんさんの記事を読んで、張り付いていた「真矢みき 石鹸のCM 茶のしずく 悠香」の動画を見たのですが、ちょうど、松岡正剛『千夜千冊』で、米澤泉のコスメの時代「私遊び」の現代文化論を読んだところでしたので、気分はコスメモードにちょいとなっていたのです。
どうやら、《コスメフリークには3つの基本化粧行為があって、それは「読む」「書く」「語る」というものであるということだ。/えっ、化粧品のリテラシー? そうなのだ。膨大な化粧品のなかから自分にあったものを読む。その化粧品を自分の顔に書く。そしてその使用感を語りあう。これが化粧の「読み・書き・語り」のリテラシーであるらしい。とくにコスメフリークは化粧行為を語りたくなるようで、ネットにはそういう書きこみがずいぶんあるんだという。》成る程ね。
そういうコスメ時代が背景にあって、最近はてな村で話題になった「女子力」を上げるしかなかった自分について(追記:http://anond.hatelabo.jp/20090915182600)の記事をも読むべきなんでしょうかねぇ。
ジェンダーの問題も絡んで色々と考えるところがありました。言われてみないと分からないところがある。男にとっては…。
こんな風に語ってくれると、そうかと腑に落ちるところがあります。ネットだから書けるところがあるのかも知れない。
それはそうと、松岡さんの記事にもユニクロが言及されているが、確かに池田信夫が批判しているように『文藝春秋』に掲載されている浜矩子の「ユニクロ栄えて国滅ぶ」の論考は、同志社の公開講座で話した内容と大意は殆ど変わらなかったが、価格破壊についての話やユニクロの話はなかったですねぇ。この文春の論考は浜さんらしからぬ悪意を感じる。どうもタイトルが安直です。
とにかく、こここまで池田さんにくそみそに言われたからには浜さん自身で反論して欲しいですね。
浜さんはとてもお洒落な人です。ユニクロでもお洒落ができます。むしろ、ユニクロアイテムは色んな組合せが気軽に出来て楽しい。
と言ってもユニクロは僕にとって贅沢でめったに買いません。

オンナたちのDIY


僕はDIYな女性に出会うとリスペクトしてしまう。だから蓮舫辻元清美福田衣里子が大好きなのです。
画像にアップしている某専門図書館のスタッフもDIYな女性たちです。
ところで、隔月誌『オルタ』の連載記事の「オンナたちのDIY」にはそんなDIYのオンナ達が毎回登場します。
例えば桐田史恵はこんなことを言っている。多分、DIYのオンナ達に共通な思いではないか。

 誰もが、そこにある関係や生き方そのものにもっと目を凝らし、自分なりの言葉を尽くして自分の生き方を表現できる。そして、婚姻制度や結婚という慣習がなくても、誰も困る人はいない。そんな社会だったらいいなあ、なんて思い描いたりします。

ココルームの上田假奈代さんも詩でもって闘っている。しかし、栗田隆子さんを始め、ネットで知り合った女性たちは、殆ど、DIYのオンナたちですね。僕はDIYのジジィと言えない疚しさがあります。老母は間違いなくDIYなババですよ。
地元の図書館で上田假奈代さんの毎日新聞の記事を見つけました。 2009年8月21(金)19面、転載

<原点は「詩を仕事にしたい」と相談に来た大学生が自殺したこと。「どうしても詩の仕事、芸術の仕事を作りたい」と決意した>
 上田さん 03年にフェステバルゲートに入り、若いアーティストの発表の場を作るため一生懸命働きました。ところが、この地域はホームレスの人が多いのに、誰もホームレスのことを話さない。まるで存在していないかのように。そのことにすごく違和感があったんです。
 アート(芸術)の仕事をやめてホームレスの支援をする?
 いや違う、表現を通じてできることはないか、考えました。「表現したい」というホームレスの人に偶然出会い、世間に関心を持ってもらう取り組みを始めました。(中略)
  <08年1月、すぐ近くの西成区へ移転。朗読詩、トークイベントや写真展、地元の児童施設への“出前ワークショップ”など、幅広い芸術活動を続けている>
 釜ヶ崎にはたくさんのNPOがありますが、情報発信まで手が回らないようです。それなら、釜ヶ崎を外に知らせたり、外の人が釜ヶ崎に来るきっかけになれたらいいな、と。ささやかな表現活動を企画して、いろんな人に参加してもらう場づくりをしてきたんです。
 <昨年秋以降、雇用情勢は非常に悪い>
 雇用の調整弁として人を使い捨てる「派遣切り」が行われています。でも釜ヶ崎には何十年もそういう歴史がある。精神的に支えあう経験知もあります。次の世代に手渡していける知恵、言葉、経験を共有したらいいのに、と思うんです。
 そのために釜ヶ崎にアクセスの扉、窓を作ることが必要です。現実には毎日右往左往し、忸怩たる思いが強いんですが……。
 <ココルームが窓口になって昨年から東京の大学生が釜ヶ崎に泊まり込みに来ている。6月には情報発信きょてん「カマン!メディアセンター」を開いた。タネは芽吹いている>

コスメ時代は一方ではDIYな女性達の時代なのです。
詩でもって化粧することもあるでしょう。僕は精々ユニクロで装うしかない、ちょっと寂しいですね。だからと言って大上段に構えてナショナルなものとか大文字の装置に回収されないリテラシーは保持したい。

おばあちゃんの「独りが一番!」

毎日新聞の連載記事『男子禁制!!ロッカールーム』(篠田節子「メリー・ウィドゥたちの暮らす町」を読んでいたら、前日に紹介した「女性と貧困をほえる!」のチラシの頭にちいさく『「女」にあまえるな!』と書かれていたが、そのことと通底していると思う。
01年のDV防止法が施行後、裁判所が保護命令を出したのは08年度では2534件。どんどん増えている。接近禁止などの保護命令が出るのですが、6ヶ月でしょう。期間内に違反がなければ、裁判所は再度の命令を出さない傾向が強いみたい。6月23日に高知で起きた民家・火災事件もDV夫の無理心中(毎日新聞6/24)かと言われているが、基本的に一人でも生きていける社会基盤の構築が本当に大事だと思う。
僕の暮らしている町ではひとり暮らしの老人が多い。特に老婆が目立つ。老母の通っているディサービスでも近くに子ども達が住んでいるにもかかわらず、ひとり暮らしが多い。
最初、僕は年寄りたちが子どもや孫たちと同居したいのに仕方なくひとり暮らしをしていると思っていたが、むしろ、本音のところは、この記事で、とりのなん子さんがおばあちゃんのイラスト入りで「いい年になったらグダグダのぼんやりでいいんじゃない?」で書いているが、そういうことなんだと思う。
孫の子守りも大変なのです。時たま孫に会って遊ぶのは大歓迎だけれど、公園、買い物に連れて行ったりするのは足腰が弱いと冷や汗もののアクシデントがしょっちゅう起こって「ぼんやり」なんて出来ない。お爺さんもいらっしゃると家事万端を手伝ってくれるお爺さんならともかく、そんなジジィは例外でお婆さんは「のんびり、ぼんやり」出来ない。
老母のカラオケ仲間はアラエイティーのひとり暮らしのお婆さんたちがメインなので、間接的に色んな本音を聞く機会がありますが、やっとひとりになれたから、自由に気儘に遊びたいと思っているみたい。そのためには、独り暮らしの出来る年金を始めとした社会基盤が充実していなくてはならない。今のところアラエイティーのおばあちゃんたちはある程度満足していると思う。東京時代、巣鴨通りに良く出かけたが、「のんびり、ぼんやり」出来るストリートでジジィ、ババたちは元気が良かったですね。出会いを求めて遠くから来ている人もいましたね。
ジジィ、ババの原宿通りでした。
問題はこれからジジィ、ババになる若い人たちでしょう。今から政治問題に関心を持って社会システムを変えて行くアクティヴな動きをしないと益々ジリ貧になると思う。だけど、やはり世代別の選挙の投票率を見ると若者よりは年寄りの方が高い。世代論を展開したくないけれど、若者の方が年寄りに比べて当事者意識が少ないのでしょうか。この社会に生きている強度が希薄なのでしょうか。他人事ではないのです。政治的パワーを自ら身につけることでしか、変わらない。まずは、それぞれが、それそれの当事者意識を持つことから出発するしかない。

ある年寄り曰(いわ)く「ここじゃあよ、嫁の機嫌を損ねると、生きていけないさ」
 ドラマや中年漫画誌の中には、子供世代が葛藤(かっとう)の末に、親を引き取る心温まるハッピーエンドが登場する。しかし現実の生活はエンドレスだ。同時代を生きてきた友人知人やご近所に別れを告げ、仕事や家事のびっしり詰まったトゥードウーリストや、長すぎる将来を抱えた子供・孫世代に囲まれて暮らす、その孤独は、実際のところいかばかりのものか。
 独居老人という言葉に、我々子供世代は、激しい不安と後ろめたさを感じる。独りでなくても老人世帯、というだけで、心配でしかたない。うっかり孤独死なんかされたら世間体が悪くてたまらんわ、という本音もある。
 だが、「後家の青天井」という言葉のあるくらい家父長的気風の残されていた地域で、メリーウィドゥたちは言い切る。
 「独りが一番!」
 体力が衰え、持病や健康不安やトロくなった頭を抱えてはいても介護までは必要ない、という人生の時間は案外長い。若い者に管理されるなんぞまっぴら、面倒見られる代償に衣食住、小遣い稼ぎ、恋愛、集会結社、諸々の自由を奪われてたまるか、という気概。あるいは「気兼ねなく暮らしたい」という切ない望み。
 そうした意気軒昂(けんこう)だが不安を伴う自立生活のフォローこそ、必要なのではないか。が、ひとたびコトが起きれば、寝たきりの年寄りさえ永遠に生かせと言わんばかりの勢いで、自治体や施設や職員が叩(たた)かれる。結果、絶対安全オーバースペックな設備やシステム、完璧(かんぺき)マニュアルが出現し、予算はパンクし必要なところに人も金も回らない。
 メリット、デメリットを秤(はかり)にかけ、少々のリスクは選択した本人の自己責任として、地域にフィットした必要最低限なツールをフレキシブルに導入できないものか。たとえば商業施設と提携し、ショッピングモールと病院、駅などを繋(つな)ぐミニバスの運行。
 たとえば住人にとってもオーバースペックな土地付き一軒家と地域内の集合住宅とのケア付き交換。(寒暖の差の少ない集合住宅は高齢者にとって住みやすく、規格化された内部はへルパーも動きやすい)ー住宅 - 毎日新聞よりー

長屋、町家は独居老人にとって最適なロケーションだと思う。
東京時代、僕の住んでいたアパートは独居老人たちが住んでいたが、総合病院は100メートル以内。スーパーは隣。銭湯も100メートル以内。中央図書館は数分。便利がよくて住みやすかったです。

「女性と貧困」〜過剰姉妹の陰謀! 女性と貧困をほえる!

kuriyamakouji2009-06-24

交流学習会「女性と貧困」〜過剰姉妹の陰謀! 女性と貧困をほえる!〜
チラシを転載します。

日時:2009年6月27日(土) 午後2時〜
場所:寿生活館4階会議室
 (JR石川町北口下車・徒歩5分。横浜市中区寿町3−12−2)
問題提起者:覆面ユニット「過剰姉妹」
主催:寿支援者交流会(045-641-5599・高沢)
<内容の詳細>
「女性と貧困」・・・「女性は世界の労働の三分の二を行っているにもかかわらず、収入は5%でしかなく、資産は1%にも及ばない」(ILO:国際労働機関)という声明、そして「女性の約54%が非正規労働者として、正規男性の約40%の低賃金で働いて」いるという事実は(女性たちの中においても)どれだけ知られているでしょうか?
そうであるにもかかわらず、「派遣村」でも女性はきわめて少数、「寄せ場」「路上」といわれる場所においても、やはり女性達の姿はなかなか見えてきません。
女性の貧困の原因は「社会的暴力」だといわれます。社会的暴力とは、日常的で匿名的な暴力、つまり「日々生きている中で空気のように入り込んでいる暴力」です。この暴力と「女性の貧困」という現状は密接にかかわっているといわれます。「日常におきる匿名的な暴力」だからこそ女性自身も含め、我々はその暴力性に気がつくことが難しく、その暴力を支えてしまうことすらあるといえましょう。
この暴力の連鎖を解き放ち、「性」によって分断されない生き方を皆さんと考えていければ、幸いです。
<プロフィール>
・過剰姉妹〜イマノキヨコ&バババ
寿支援者交流会からの依頼前後に突如生まれた覆面ユニット。女性と貧困の関係をさまざまな位相で明らかにすべく、顔以外のいろいろなものを晒していく予定。
バババ
渋谷の路上や公園にたむろし、車座になって座り込み、あちらこちらに場を作る。黒い顔に化粧し、爆発したような髪、過剰に靴底が高い靴を履いている。プチ家出どころか、家を出て6年。脱セクシー、脱カワ、「渋谷系バババ」。いちむらみさことは、何の関係もないが、バババは男中心のストリートカルチャーに反発し、過剰なファッションと反体制な行動が一体となって、街に出没している。
イマノキヨコ
性問題込みで自分の置かれた状況に取り乱しを通り越し強迫気味の、独身・独居フリーター女性。右手の中指ではなく、なぜか左手の薬指を突きあげ、"FXXX"(ふっっっ)というのが口癖。栗田隆子によく似ているといわれるが、本人は「別人」と否定。詳細は不明。上はヘルメットにサングラス、下はなぜか「運動」着と称して体操服とブルマーを着用。体中に内出血状の無数の文様あり。

世代、性別を問わず参加できますから、興味のある方は、ヨコハマ・寿にお出かけ下さい。

栗田隆子さん

kuriyamakouji2009-05-04

フリーターズフリー vol.2 (2)
今日の毎日新聞の「聞きたい」で雑誌『フリターズフリー』のLLP(有限責任事業組合)の組合員である栗田隆子さんが、畑津江編集委員の取材を受けている。彼女はフリーターズフリーの2号の編集担当であり、「女性と貧困ネットワーク」の呼びかけ人でもあります。
彼女が一番、言いたいことは「男性なら社会問題」として顕在化されるのに、女性の場合は見えないものとされている。ということでしょう。

 近年、不安定就労と低賃金が男性の身に降りかかっていたから社会問題になりましたが、それらは女性の労働においては昔から存在しました。社会構造における女性労働問題の解決なしに、フリーター問題は解決しません。
 国はフリーターの年齢層を15〜34歳としますが、男性は既婚未婚を問わずそこに入るのに、女性は未婚のみ。女性は結婚すると「パート」になり、若年労働問題の対象からはずされる。結婚すれば何とかなる、とされるわけです。一方で、キャリアウーマンとはほど遠い形で非正規で地味に働く独身女性の数も多く、そのまま親の介護の入る人もいる。なのに彼女らの困難は見えなくされています。

LLPのフリターズフリーが第3号、4号と発行し続け「働く」ことをめぐる雑誌メディアとして大きくなってもらいたいと思います。
参照:♪オルタ│2008年7・8月号
栗田隆子「エコロジカル・フェミニズム再考─「オルタナティブ」を実践するために」
栗田隆子『考現学・覚書「言葉で言葉がひらかれる」』
栗田隆子『セクシュアリティ・ジェンダーについての語り口の模索』
栗田隆子「シモーヌ・ヴェイユ『根を持つこと』を読みなおす 」