街の今昔、そして明日は?

編集集団140Bさんの『「街的」』は、ある懐かしさを持って響いてきます。
僕らと団塊の世代にとって、例えば寺山修司の『書を捨てて町へ出よう』は発刊されたのが1971年で、60年代を通して高度経済成長まっさかりだったわけです。
1973年のオイルショックで急ブレーキがかかるのですが、71年は社会学者見田宗介のタームによると、「理想の時代」に続く「夢の時代」であるわけです。
オイルショック以降はポスト高度経済成長時代で「虚構の時代」に流れ込んで今は「虚構の虚構みたいな」時代というわけですか。悩ましい、欲しいものを欲するみたいな、そしてその欲しいものが見えない、何とも頼りない時代に遭遇したわけです。でもアマゾンコムみたいに「あなたの欲しいものはこれですよ」と教えてくれる便利な情報化時代でもあるわけです。その工学的悦楽を楽しんでいる方もいるでしょう。
そんな今の時代の『「街的」』は、昭和30年代を掘り起こす記憶作業ではないはずですが、「情報化時代」の『「街的」』を「WEB2.0」のネット場に求めても別のものだろうという思いがある。多分、次のステージで現れる何かであろうと思うが、今のところ目に見えない。単なるかっての共同体の再現ではないはずだ。
「理想の時代」、「夢の時代」は僕の青春時代でもあったし、過去のエントリーで書いているように僕の働いていた横浜の本屋で71年、寺山修司を囲むトークイベントをやりました。それ以前の60年代後半は梅田の阪急東通りにあったジャズ喫茶『チェック』によく通っていましたね。雑誌『太陽』で安藤忠雄がチェックでセロニアス・モンクを見たと書いていましたね、僕が最初に買ったアルバムがカーティス・フラーの『ブルース・エット』でした。チェックで毎日、かかっていました。1968年は「理想の時代」と「夢の時代」が重なった熱すぎる刻だったんでしょうね、ヒッピームーブメント、フラワーチルドレン、フランスの五月革命など、世界の街に呼応して新宿の街も熱くなった。
四方田犬彦の『ハイスクール1968』や、リービ英雄の『星条旗の聞こえない部屋』などを読むと、その臨場感が伝わりますが、梅田のチェックも『新宿の匂い』を発散させていました。それが80年代の「虚構の時代」に突入して街は新宿から渋谷へと移行する。
西武・パルコ文化とカテゴライズして語られるが、過日、ソネアキラさんが宮沢章夫の『80年代地下文化論講義』をレビューしていましたが、そこで「西武セゾン文化の凋落」と森ビルの勃興について触れ、吉田望の電通とリクルートの対比論など、街の現場にどっぷりと浸かったソネさんのコメントは面白かった。
次のステージの街がどのような街なのか、『「街的」ということ』の本では具体的な形として見えないが、京都、大阪、神戸、奈良がメインになるより、又、又、東京のどこかの街が例えば秋葉原とか、もうすでになっていますか、そう言えば『アキハバラ@DEEP』が只今、上映中なんです。シルバー料金で見てみようかな(笑)。関西が頑張って欲しいですね、
マイミクの人からメールをもらって「かって心斎橋は出版のメッカであった!」というノリで『新菜箸本撰(しんさいばしほんえらみ)』という雑誌が創刊したことを知ったのですが、A5版、16P の小さな小さな冊子です。心斎橋南詰めの古書「中尾書店」(三木楽器向い)でも売っているとのことですが、まだ、本を読んでいませんが、画像では粋な装幀の雑誌ですね。
参照:2006年09月08日の記事一覧 - 詳細表示 - Yahoo!ブログ
宮台真司さんのこのテクストは「地元商店的アメニティ」か「デニーズ的アメニティ」かの街論になりますね。ぼくとしては「ウマク生きるよりもマトモに生きることが評価される社会」としての街でないと嫌だなぁ…。
