250万円より5万円

本は読むより書く方が10倍楽しい

本は読むより書く方が10倍楽しい

 前日のスレに続くのですが、藤原さんは前日のブログで『誤解』を書いている。本日のブログでも色々な人の体験をアップしている。僕ののエントリーも別にキャンペーンを張っているわけでなく、自然の流れでこんな風になったわけですが、予想以上に問題が深いですね。それにしても協力出版社からみのデータの豊富さには驚きますね。会社の売り上げ規模もアップ、アップの更新だし?ビジネスとして大成功?みたいですが実態はどうなんだろう。倒産した某協同出版社は著者に甘いビジネスをやっていたのでしょうか。協力出版社にあっては、お客さんの第一は著者で、読者はオマケみたいなものなのでしょう。
 n-291さんのブログがとてもリアリティあるものだったから引用してみます。

その方は、某編集プロダクションで「新風舎の賞の選考ヘルプ及び不合格者(賞の不合格者)へコメント書き、校正を」していたということです。
「賞と言ったらいろんな規定があると思いますが、この自費出版社の場合、ほとんど規定がないので、実にくだらない作品ばかりが送られてくる。原稿用紙にイラストと文章を一緒に書いて送ってくる人とかもいるし、簡単な絵に詩を何枚も書いて送ってくる人もいるわけです。それを「カウント」作業と称し、文字数を数え、イラスト・写真の点数などを数え、封筒裏に書いてゆく。」という、膨大な作業をこなしていたとのこと。
有象無象、数千もの作品をひたすら整理していくという仕事です。それ自体は、出版社の実務としては、本の内容によりますがありがちなことです。今回いただいたメールで最も問題だと思ったのは、不合格者へのコメント書きという業務の実情です。新風舎→編集プロダクション(下請け)→ライター(孫請け)という、よくある多段階下請構造になっているようです(下記引用)。こうしたビジネスでは基本なのかもしれませんが、じつによくできています。

 このような請負構造は様々な業界で行われているから別段、珍しくないのですが、「不合格者へのコメント書き」というアルバイトはスゴイなぁ、なんか昔懐かしい代書屋さんみたい。n-291さんが紹介しているその方の記事の内容です。

不合格者というか、賞に漏れた人にコメントを送っているんですが、このコメント書きと校正をしましてね。これもまた規定があるんです。「批評はしない。良い面だけをコメントとして残せ。(次作に期待します)といった一文は書いてはいけない」などなど。これを送られた人はうれしくて、額にいれて飾ったりしてるそうですよ、新風舍の人曰く。 [中略] このコメント、B5に250字くらいの文章で書くんですが、一作につき400円で素人のライター数十人に書かせてます。これにもまた驚きました。 自分が悪いことをしているからなのか、新風舍でもらった資料などは、全て新風舍へ返却です。ほんとにすごい会社ですよ。普通の会社っていったら40代、50代の社員なんかがいてもいいと思いますが、ここは最年長で30代後半くらいでした。それも私は驚きでしたよ。

 新風舎で社員募集していますよね、年収は250万円ぐらいでしょう。だからかなぁ、250万円で請け負う。スタッフもこの契約で自分の年俸を稼ぐんだと、モチベーションの高まる数字ではないですか、申し込む著者も目に見える、手応えのある数字ですね。
 僕は例えば作家としてデビューを志すのなら、文芸雑誌に投稿するのが基本でせめて第一次選考ぐらいはパスしてもらいたいですよね。まあ、そのあたりの事情に疎いのですが、僕がこの試みは面白いと思ったのは色々な賞の選考委員の経験もある保坂和志がHP上にこんなPOPを掲載したことです。

保坂和志があなたの小説を講評します。月に一作品限定、200枚まで一点5万円也。詳しくはinfo@k-hosaka.comまで

 僕だったら250万円のハイリスクより5万円で保坂さんの酷評を聴きたいと思いますね。他の作家もやってみないかなぁ、まあ、僕はもう年寄りだけれど、もし200枚の小説を書き上げたら、保坂さんに講評してもらい、例えばセカンドオピニオンとして金井美恵子さんに講評してもらうとか、投稿は反応に時間がかかるしもどかしさがありますから、それより、好きな作家に講評してもらう方がいいかもしれない。金井さんを始め他の作家の方も如何でしょうか?
 小説と違って写真は観る時間がそんなにかからないから、プロの写真家がかような有料の鑑定を個人でやってもいいのではないか、画にしろ、書道にしろ、俳句、和歌だって団体が有料鑑定のようなものをやっていますが、そういうものではなく、もっと、作家個人が堂々とやってもいいのではないかと、僕的には思います。
 『黄泉の犬』で登場するツトム君が個人の資格で藤原新也にインタビューを申し込む。このくだりは面白かったです。出版社、新聞社のインタビューでなく、公開を考えないで個人的な動機でインタビューする。いいじゃあないですか…。
 とは言うものの、
?自分史製作代行会社 ?作家を世に送り出す(プロダクション)
?でも?でもない隙間にビジネスを打ち立てた経営センスに脱帽するところがありますね、来年度、団塊の世代が退職するでしょう。退職金の一部で、本を出版したいという人が沢山いると思いますよ、まあ、単なる自分史ではなく、勤めていた業界の内幕ものなら、ひょっとして250万円どころか、大きな稼ぎを産むかもしれない。ハイリスク、ハイリターン、でも、その場合でも協力出版社よりは別の出版形態をクールに考えるべきでしょうね。地味で小さくても信頼出来る出版社はたくさんあります。
 本は書くより読む方が10倍以上楽しい!が本当の話です。僕の本棚は積ん読で、二進も三進もいかない、本音はブログを書くより、そんな時間があれば読みたいのですが、こんな風に書くことは、多少、「書きたいという病」の毒がじわりとまわり始めたのでしょうか、気をつけなければ…。
 時評的に言えば、どうも本が売れなくなったから、書きたい人の需要があるから、そちらに賢くシフトして経営戦略を立てたということでしょう。そう言えば井狩春男さんは倒産した人文専門の取次で頑張っていた人でしょう、時代を感じます。本屋の本分は本を読む歓びを訴え続けることでしょう。読み手のいない本がこの世に氾濫する状況はちょいと恐いですね、でも委託・再版維持制度の出版流通システムはそんなニセ札作りに似たシステムを下支えしているところがあるのです。
 どんどん、国債を発行するようにどんどん、本を作る、新刊が一年間で7万5千点も発売ですからね、とにかく何らかの出版流通のルートに乗る文字を印刷すれば、おカネが動くのです。実体経済を反映していなくても…。負担を次世代に送っているわけです。
  bookshopのcaloさんが、11/25の日記「なんで本を作っているんですか?」という質問をまわりの人たちに度々して困らせている。と書いていたが、僕だって訊いてみたいです。この本というメディアについてもっと、もっと、考えるべきなんでしょうね。