若冲の裡に隠されたものとは、

kuriyamakouji2007-05-25

 ◆一体、光母子殺害事件で差し戻し審初公判が24日、広島高裁であったが、弁護団の「傷害致死」の殺意がなかったとの主張を最大限、聴く耳を持って受け入れようとしても、その理由があまりにも、飛躍、説得力がなく、一歩、二歩も譲って、仮に僕を「死刑廃止論者」の立場に置いても、頭を抱えてしまう。
 これじゃあ、死刑廃止論へ向けての道は逆に遠のくでしょう。それに引き替え本村洋さんの言っていることは明解である。個々、具体的な事案と、一般的な死刑廃止論云々は全く、別問題である。法理論上からも当たり前のことでしょう。
 例えば、僕の大好きな作家Y・H氏は死刑廃止論者としても有名ですが、だからと言って、この弁護団の主張を受け入れるはずがないと思ってしまう。ひょっとして、この弁護団は表向き死刑廃止論者たちであろうけれど、本音のところは死刑推進論者たちなのであろうと思ってしまう。
 毎日新聞で、佐木隆三さんが寄稿文を載せて、「もしかすると、弁護団の主張が理解できないのは、わたしの老化現象かもしれない」と嘆いてみせるが、僕の印象では弁護になっていない弁護人主張で本村さんが、「怒り通り過ぎ失笑」って言ってしまった気持ちの方が共振できる。
 裁判とは個々の事件に検察、弁護、あらゆる回路から司法の現場で攻防して「真実の発見」にアクセスするのであって、PC(ポリティカル・コレクトネス、政治的な正しさ)に陥って司法判断する愚だけは避けてもらいたい。政治的信条と具体的な事案の検証は腑分けする必要がある。
 司法の場で具体個別な事件で死刑を受け入れても、国会の場で死刑廃止の立法を画策することとは両立するのです。
 ◆PCと言えば、何故か、茂木健一郎クオリア日記の音声で、『自己隠蔽文』の理論と実作の講義が東京芸大美術解剖学教室で行われたのですが、話の始まりに、JAKUCHU展で展示されている『釈迦三尊像動植綵絵』について触れていますね。僕も先日、見に行ったのですが、大満足でした。
 それは、ともかく、講義で、若冲の絵に隠された諸々について、偉大なるアーティストは、「何かを隠している」というチョイスがあって、講座の自己隠蔽文に繋がるわけです。
 茂木さんは、この日、PCとイニシャルのあるTシャツを付けており、このPCの意味はわかる?っていうところから講義が始まる。
 ◆leleleさんが『山口県母子殺害事件の差し戻し控訴審――弁護側が傷害致死を主張』エントリーで、フジテレビで毎週木曜の22時から、「わたしたちの教科書」といういじめドラマから引用している弁護士、「その過程で、いじめがあったことを知っている副校長に対して、直之(弁護士)がした質問がたいへん印象的でした。その質問とは、いじめがなかったことを証明するためには、本当のことを知っておく必要がある、というものです。」と書いていますが、殺人故意があったことを認識した上で、PCとして彼らが、偉大なるアーティストはともかく、偉大なる弁護士としての理想に殉じようとしているのかどうかは、わからないが、本村さんにとっては、そのような理想はどうでもよくて、とにかく、目の前の事件に自己隠蔽しないで、対峙して欲しいと言うことでしょう。
 追記:ある人から、このエントリーにも繋がるのですが、僕が先日、書いた「中沢新一に対する批判書、島田裕己『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて 』で、宮台さんが法華宗に言及しながら、「人を見て法を説け」と言っていました。」について、宮台さんの言及したものとは、どこにいけば読めるのでしょうかとの質問があったのですが、同じような疑問がある方もいらっしゃるかもしれませんので、ここにも返答しておきます。
 マル激トークでの萱野稔人さんとのビデオのパート2で、赤木智弘さんについて二人が喋って、それの流れで、知識人が安全地帯でないところで、しゃべることの困難さ、メディアについての振る舞い方っていうか、なかなか本当のことはしゃべれない、しゃべれば、矛盾に満ちたものになる。宮台さんはそのような悩みを吐露して、法華宗の話になり、島田裕巳の本に触れるのですが、「正しいことは限られた人間にしかしゃべっていけない」、中沢新一の理論が正しいとしても、それから「人を見て法を説け」になるのですが、僕がここで、概略を説明すると、そのあたりの微妙なニュアンスが 伝わらないと思うし、誤読される危険もあるから、マル激ビデオドットコムで、視聴してもらうしかないでしょう。
 でも、このビデオは有料で登録しないと見ることが出来ません。月525円です。登録は簡単ですね。
http://www.videonews.com/on-demand/311320/001069.php
 これは、茂木さんの「自己隠蔽文」にも繋がります。「人を見て法を説く」とはそういう意味でしょう。それを言わないで置くっていうのがありますよね、そういうことだと思います。
 小津安二郎監督の映画『東京物語』で笠智衆が、いつもニコニコして人の良いお爺さんを演じていますが、友人同士の話でぼそって息子の駄目さを語ってしまう。その恐ろしさについて、茂木さんは方々の講演でくり返して喋っていますが、そのことにもリンクしますね。言わぬが花 にも近いのかなぁ…。
 参照:http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20070426/p1
 http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20070428/p1
 http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20070523/p1