時の流れに一九七二

 ウラゲツ☆ブログを覗いたら、渋谷大盛堂が閉店と言う。驚きました。詳細な情報はウラゲツさんでロムしてもらうとして、私としては本筋でないところで想い入れがあります。坪内祐三が『一九七二 「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』(文藝春秋社)の第十三回(157頁)「十四歳の少年が大盛堂書店の地下で目にしたもの」として、十四歳の坪内祐三の体験が綴られていますが、≪なぜミリタリー・ショップの店舗の奥にポルノ・ショップがあったのだろう。それが私にはずっと謎だった。≫と書いている。
 大人になった坪内祐三がその謎を解いてみせるのですが、実を言えば私のいた横浜のK書店にも同じ時期、全く同じコーナーがあったのです。本のデパートをコンセプトに専門書から幅広い棚つくりをしながら、そんなアジールなコーナがあったのです。別に私のいた横浜の書店がそんなミニ大盛堂を真似たわけではありませんが、結果としてそのようになった。そして、撤退した。でも、渋谷の大盛堂はどっこい、頑張っていたのにとうとう閉店ですか、残念です。
 大盛堂は500坪ですか、私の居た本屋はワンフロアー230坪で1960年代後半オープンしたわけですが、当時としては話題を呼ぶ広さでした。今は1000坪を越える超大型店でないと、リアル書店の良さが中々伝わらない。小さくともセレクトショップとしてトンガッタ棚作りという選択肢もありますが、“一人書店”は古本屋でなく、新刊書店ではムツカシイ。新刊、古本の境を外して、“本という商品”で棚作りをするには、再版維持制度の検証が必要でしょう。宮台真司さんなんかはこの問題に関心を持っているみたいですので、お得意のロビー活動をしてもらいますか、一人出版社双風舎のブログ双風亭日乗が連日、出版流通の問題にアクセスしています。会社名は宮台さんが名付け親みたいです。taikutuotokoさんのブログで知りました。

 渋谷の大盛堂書店に通わなくなって、どれくらいの月日が経つだろう。
 今私の住んでいる三軒茶屋から一番近くにある繁華街は渋谷である。電車で二駅だから、私は週に二回ぐらいは顔を出す。当然、そのたびに、本屋を覗く。もっとも頻繁に覗くのは駅の改札からそのまま一、二分ぐらいで行ける旭屋書店だ。ブックファーストとパルコ・ブックセンターがそれに続く。東急プラザ内の紀伊国屋書店や東急文化館内の三省堂書店は、ひと月に一度ぐらいだろうか。
 けれど、大盛堂書店には、年に三、四回しか入らない。その先のタワー・レコードには時どき顔を出すのだが、帰り道にも覗かない。
 二週間前、タワー・レコードを覗いた帰り、久し振りで(そう、半年振りぐらいだろうか)、大盛堂店に入った。
 懐かしかった。
 大盛堂書店は、いつも入るたびに懐かしい。手すりが色褪せスピードの遅いエスカレーターも懐かしいし、二階には本屋でなくどこかの保険会社が入っているのも懐かしいし、「本のデパート」というコピーも懐かしい。すべてが私の少年時代のままだ(もちろん、当時は、そのエスカレーターも、最新鋭で、ピカピカと輝いて見えた)。だからこそ、また、物悲しい。歳月の残酷な流れを感じる。―『一九七二』より―

 しかし、少年の坪内さんをびっくりさせた地下コーナを経営していた「居村貿易」はどこかで、まだシブトク営業を続けています。オーナーの居村さんも80歳を越えているのに頑張っているみたいですよ。