リュック 「死ぬことを教える」

pipiさんが『ある子供』について僕に問いかけているような気がしたのでかようなコメントをしたのですが、

この映画のブリュノが「ある子供」から「大人になる萌し(希望)」はかような具体的な出来事でないと気付きが発生しないんだと思いました。それは又ソニアの気を失うと言った振る舞いの驚きから始るわけですが、この映画の凄いところはベルギーを舞台にしていますが、東京でも、大阪でもいいのです。ブリュノを見て、僕の知人を二、三人思い出しました。かような若者は珍しくない、その意味で普遍性があるのです。ベルギーだけの特殊な事情ではない、確か、週間朝日の兄弟監督のインタビュー記事で日本の若者もイメージとして想定していた記事がありましたね、「誰も知らない」のお母さん役のYOUもある意味で「ある子供」を演じていましたよね。「ある子供」は大人社会にも一杯いるわけです。受け入れている。だから、「未熟者の天下」なんていう本もある。ベルギーの社会状況を具体的に説明していなかったと、シネマ日記に書いていますが、それがむしろ映画的に成功したし、普遍性をより獲得したと思います。

言い足りないこともあるし、週間朝日の2005年.12.16号の記事『ニート問題を考える』より勘違いした部分もあるし、図書館で本文を確認したので、引用してみます。日本の若者を想定したと言うのは対談者の中村文則ですね。

中村 [略]創作のきっかけについて教えて下さい。
リュック(弟) まず、若いカップルの話を作りたいという思いがありました。[中略]そのなかで私たちが住んでいるベルギーのスランという町でよく見かけた女の子のことを思い出したんです。その子は、いつも一人ぼっちで乱暴に乳母車を押していました。そこで最初は一人で町をさまよいながら自分と一緒に子供を育ててくれる男性を探している女の子の物語を考えついたんです。ところが、そのうちに父親のイメージが浮かんできて、最終的に男性側を主人公にした物語を書き上げていました。
中村 この映画の主人公、ブリュノは子供を売ってしまいます。こんな悪事を働いてしまうのは、彼がまだ子供だから、という設定にとても感心しました。

 変に母子家庭とかブリュノの生育過程、社会背景を講釈しなかったことがむしろこの映画の素晴しいところでしょう。賢しらに解釈すると、この映画は壊れていたでしょう。こやつは、子供だ、赤ん坊だと、そのまんまで投げ出している。そこから物語の設定をしている。

リュック ブリュノが悪いことをしているという自覚がないままに恐ろしい行為を犯しているということを、観客にきちんと伝えるためにはどうすればいいのかとずいぶん考えました。彼は自分の子供に対して何の執着もなく、だからこそ子供を売るという卑劣な行いを平然とやってのけます。けれどもそれは、ブリュノが悪い人間だからではなく、ただ何も考えずに行動しているからなんです。こういう設定にすることで、観客側は「なぜ後先考えずにこんなことをするんだ」と考え込むことになる。映画を通して観客に何かを考えてもらうこと、それが重要だと思っています。
中村 [略]
リュック 現代の若者たちは言葉をあまり重視しないように思えます。そんな彼らの姿をとらえるのに、会話よりも動作で感情を語らせることを大事にする、私たちの撮影法がうまく合致しているのではないでしょうか。
ジャン(兄) 日本の若者を想定して、その姿を正確にとらえているとおっしゃっているんですよね。[略]
中村 たとえば、主人公のブリュノが自分の気持ちをうまく言葉にして伝えられないところや、発する言葉が短く主人公たちが長い議論をしないこと、あとは動作でしょうか。そして、労働意欲をあまりもてないことも、ベルギーと日本の若者に共通していることのように思えました。このような労働意欲がない若者について、どう思われていますか。
リュック 彼らを批判するつもりはありません。現代の若者は、昔のパンク世代の若者とある意味でとても似ていると思います。パンク世代は自分たちの理想とする未来の世界を声高に叫び、それを実践していました。現代の若者は声高に叫びはしない。けれどもこの態度が未来の社会で起きることを先取りして行ったいるように思えるのです。また同時に彼らは私たちの社会がうみだした結果でもあるはずです。彼らの姿は、私たちの社会がすでに崩壊してしまっているということをあらわしているのかもしれません。
ジャン 本来ならば年齢を重ねていって、40歳、50歳になれば必然的に、自分が死んでから、そのあとに続く次の世代のことを考えなくてはいけないと思うんです。ですが今日の社会では、みながなるべく若いままでいて年をとらないでいよう、死の瞬間をできるだけ遅らせようという強迫観念にとらわれてしまっていて、次の世代を顧みることができないでいる。
リュック この古い世代が邪魔をして、若者は居場所を奪われていると思います。さらに、私は、誰かを「教育する」ということは「死ぬことを教える」ことだと思っているのですが、親にあたる世代が若いままでいて死にたくないと思っているために、この「教育」も行われていない。
ジャン だから、現代の若者たちは自分たちをとりまく社会の状況をはっきりと理解できない。そして、ただ漫然とこの状況を受け止めるしかない状態でいるのです。それは、まるで社会が若者たちの「死」を望んでいるかのようです。ただし、日本の状況までは正確にはわかりませんが……。
中村 日本でも、まったく同じことが起きていると思います。
ジャン 高度に成長した消費社会がこういった状況を引き起こしているのだと思います。
中村 [略]なぜ監督はこれまでの作品で、いつも若者をテーマに取り上げているのですか。
リュック 若者というのは本来は社会が押し付けてきた運命を拒否することができる、社会を変化させることができる、そういう可能性がある人たちだと思っているからです。だからこそ私たちは彼らに興味があるんです。現代の若者たちの居場所を奪い、若者たちの死を望んでいるかのような方向へと向かっている中で、けれどもその状況に抵抗できるのもまた若者たちではないかと思っているんです。

 まあね、いじめに向かうエネルギーを社会に対して抵抗していく力に変換せよということでしょうか、リュックは日本に64万人いるといわれるニートの方がこのメッセージを受け取って欲しいと言っています。「ニートって言うな!」とノーを突きつけて立ち上がりなさいということでしょうか。