いじめ、見たくないものは存在しない

 「みのもんたの朝ズバ!」が連日いじめ問題を取り上げている、視聴者からの本人確認した投稿数も五千通を越えており、それを資料に報道しているのですが、一方でいじめによるニュースが後をたたないですね、それに対する学校の対応を聴くと、やっぱりなぁと思ってしまう。いじめ事態は大昔から途切れることなくあったし、これからもなくなりはしないだろう。それなのに、文部科学省にあげられたデータがいじめはナイでは、あまりにも事なかれ主義です。「いじめのない学校はない」、そこから出発すべきでしょう。
 問題はいじめが発生した時、どのような対応をすべきか、学校なり地域なりで真っ向から対応すべきでしょう。僕が連日の報道を見て腹立たしいのは「いじめ」よりはその隠蔽体質です。とにかく臭い物には蓋をする、見たくないものには蓋をする学校・行政、地域の感性です。
 見たくないものは存在しないのです。
 こんな体たらくだから、足下を見られて教育基本法の改正問題が起こる。改正されてもされなくても、まずやるべきことは自分たちが住んでいる町や村の学校がどうゆう状況か、その情報の開示から始めるべきでしょう。先生、子供会、地域の教育行政が子どもに真向かって日々真剣勝負をするしかない。そんな現場の闘いの中で、こんな大文字の教育指針ではやってゆけないと思ったらそこでよりましな教育基本法を改正すればいい、いまの状況は責任転換で、「心の問題」という曖昧なものでお茶を濁して、「システムとして考えない方策」が事なかれ主義を生むのでしょう。
 こんな社会なら益々いじめが深刻になるであろうと思うなら社会を変えるしかない、でも社会を変えれば既得権が脅かされる、それはイヤだし回避したい。それで問題を先送りする。学校現場の報道を見れば教師たちはまるで、交通被害に遭ったような被害者面で加害の意識がない、これじゃぁ、教育基本法が今より以上に改悪して先生たちをいじめてやれと僕の耳にも悪魔の囁きが聞こえてきますね、こういうときだからこそ、日教組あたりが自ら進んで積極的にいじめ問題をとりあげればいい、*1大阪市役所の場合もそうでしたが、こと自分達の権益に関わることなら労組の対応が鈍い、肉を切らして骨を切る戦略が、あまりにもなさ過ぎるのではないか。肥大した組織防衛は自分の命を縮めます。既得権削減という減量をしなくては減量に成功しないです。
 勿論、痩せている人には減量が必要ないですが、今の新・自由主義のやり方は肥満したヤツを肥らせ、痩せたヤツの肉を削いでいる亡国の処方箋ですね、そういう亡国の人に限って愛国心云々を言うのだからマイってしまう。
【独り言】

いじめも加害者/被害者の二分法で考えないで「他者との応接」という開かれたシーンで考えることが出来ないものか、あまりにも政治的な蛸壺論争になっている。フェミニズム論争と似たような問題が横たわっているのでしょうか?それとも人権問題として検証すべきかどうか、子どもの遊びのグレーゾーンとの仕分けが可能か、大人たちとは違う子どもの王国を作っている部分もある。そこに大人達は介入していいのかどうか、それは「安全基地」「秘密基地」の問題につながるでしょう。

敢えて自殺について(1) - 風の旅人 編集便り 〜放浪のすすめ〜
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