こんにちは赤ちゃん


 群馬県太田市清水聖義市長は第3子以降の妊娠・出産から中学校卒業までの子育てにかかる費用を市がすべて負担する方針を固めたということですね。
 武田徹さんはブログで、かようなことを書いていますが、自戒を込めてコピペ。しかし、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」の時代において、女の人たちはどのような生き方をそれぞれが選択していたんだっけ?この動画を何十年ぶりに視聴すると、明るくて元気な息吹が飛び出して来そうな気がします。

[……]そこでそうした傾向は、まともな社会参加がもはや出来ないという諦念の産物ではないかと書いた。子供を育てる親になるという自己実現方法しかない社会層が広がりつつある兆候ーー、それは街を歩いていて、子供を連れている若い女性の表情や立ち振る舞いを注意深く見ていれば気づける種のものではないかとぼくは思うのだがどうだろう。(中略)若い親子間の虐待の増加などはその危険な兆しを示す傍証にはなる感じもする。育児が親と子が共に社会性を獲得する社会化の過程だとすれば、虐待の増加はそれが出来ない親が増えつつあることを意味する。それは社会参加を諦めて子供を産むという排他的選択が広がった結果、社会と子供を産むことが過度に切り離されつつあるせいではないのだろうか。柳沢発言と期せずしてシンクロし、女性は純粋な「生む機械」になっているのではないか。それも諦めや不可能感を背景に半ば自発的に。
 最新の出生率データの揺り戻しもそんな結果だとみたらどうか。そうだとすれば、生身の子供や女性のあり方など無頓着に数字だけで喜ぶ馬鹿者は例外として、それはちっとも誉められた現象ではないことになる。少子化対策とは傷つけあう親と子を増やすことではないはずだ。
 それとも、一方で家に入るしかない女性が増えたことをもって、ジェンダーフリー化に一矢報いたと考え、一方でルサンチマンを溢れさせて階級流動性をもたらすには戦争すら辞さないと発言し始めたポストバブル世代の登場に改憲への弾みを感じてほくそ笑んでいる政治家がどこかにいるのだろうか。
赤木も赤木を批判する側も、そうしたねじれ気味の状況を踏まえて、今、本当に抗うべきものが何を見定めてゆく方向で議論を深化されれば、意外な連帯への道も開けそうに思うのだが、ネットにしろ、言論誌にしろ、ちょっと狭い範囲での劇場的な議論に終始しすぎている感じもあるなぁ。

 こんにちは赤ちゃんがリリースされたのは、1963年ですね。東京オリンピック前ではないか、そして僕はアルバイトで日銭を稼いで街を彷徨っていたアイビー学生であったわけだ。
 追記:ジュンク堂新宿店に反戦平和棚が誕生 : ウラゲツ☆ブログ