ま・ぐ・わ・い(二歩目の助走)

 下の助走を一歩ずつ検証してみて、今日は二歩目の『男でも女でもまず「依存しない思考」を構築する/社員募集』の予定なのですが、パソコンを開けた途端、友人からメールが入って、このテーマは聞き飽きた。
 それよりか、森進一の「おふくろさん」封印、松本槇原の著作権騒動についてブログを書いてく ださいとのリクエストがありました。
 この問題なら白田秀彰先生ですね、先生の物真似は名人芸で、こんなのもあります。『演歌の作曲/作詞家の先生風』っていう画像です。この問題についてどこかで、先生は書いているかも知れませんね、誰か教えて下さい。
 まあ、34歩の検証を約束しているので、(と言っても僕だけの縛りみたいですが…)
 そこまでの歩みになるとは思います。関心がなければ、そんなかったるい助走をスルーしてもらって、横道のエントリーを読んで下さい。というようなレスをいたしました。
 この二歩目の助走に対する補助線は「アタッチメント」(安全基地)だと思うんです。茂木健一郎さんがよくこのことについて言ったり書いたりしていますが、『欲望解剖』(幻冬舎)でわかりやすく書いていますね。要は、安全基地がないと「冒険」が出来ない。ということです。でも似たようなことは例えば投資セミナーなんかでも、分散投資というフレーズで言っちゃう。
 流動性」(デッタッチメント)、「硬直性」(アタッチメント)は補完関係にあり、例えば、武田徹さんが、調べる、伝える、魅せる! (中公新書ラクレ) で書いているように「結んで、開いて」の重要さにもつながる(文脈が違いますけれどね)と思う。
 人は軸、基盤(それをマイナスのイメージで語れば、硬直性、閉塞感などになるが…)がないと、より高く飛ぶことが出来ないということでしょう。踏み台です。 社会の底が今にも抜けそうだと、四つん這いになって、匍匐前進しかない、二本足で歩くことさえママならぬことになる。それが東浩紀の言う「動物化」につながるかどうかはわからないけれど、少なくとも匍匐前進すれば、延命の可能性は高くなる。出生率も高くなるかも…。
 そうそう、伊東乾の『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)に書いていたんですが、正常位は人間だけだ。他の動物はバックが正常(第四章 欣求ー官能と禁忌の二重拘束ーより)。キスが出来ない、「ま・ぐ・わ・い」(目合)なのです。四つ足歩行なら、そんな「まぐあい」が出来ない。
 吾 汝に目合せむと欲ふはいかに古事記 上)より
 ★ファックとメイク・ラブは違うのです。「子を産む機械」とフォーカスすれば、「ファック」で事足りる。むしろ、その方が出生率が上がるかも、でも、何かそれでは、
 財津一郎的にサビシー!んだよね。