せめて子供たちに安住の地を

小出さんが再三言っていることですが、一つの選択肢があるとしたら、大人たちが放射能汚染された食べ物を食べ、
子供たちを守る手立てしかないのか。
放射能汚染の現実を超えて

 私的なことになりますが、私は十五年前から、連れ合いと二人で生活するようになりました。でも、この猛烈な差別・選別の競争社会の中で、「わが子」をもつことに強い抵抗を感じ、子供を作らずに長いあいだ二人で過ごしてきました。しかし、さまざまな葛藤の末に子供を作ることを決心し、五年前に太郎を、その後、次郎、三四郎と三人の子供を迎えました。彼らが私たちのところにやってきてから、私は改めて子供の個性の多様さ、そして面白さを知ることができました(正直いうと、あまり面白すぎて、もう毎日へとへとです)。そして、どの子供もその多様性さを尊重しながら、公平に個性を伸ばしたいと、ますます強く望むようになりました。
 次郎は、生まれながらいわゆる先天的な障害を背負って生まれました。それは次郎の個性であり、それをただそのまま受け入れて、次郎とともに生きて行くことを私は切望しましたが、残念ながら、私たちが次郎の生命を守れたのはわずか半年でしかありませんでした。
 一人ひとりの子供たちは、自らの個性を選択して生まれて来るわけではないのに、次郎の場合がそうであったように、生物体としての個性の面でも現実の社会はまことに過酷なものです。その上、私たちは、私たち自身に責任がある社会的な面での差別・選別を子供たちの上に何重にも重くのしかけています。ー小出裕章放射能汚染の現実を超えて』ー(p88)

「もはや地球上に、この汚染から逃れられる場所はない」小出裕章(週刊現代7/2号) | 小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ