野蛮な読み方

リトル・ピープルの時代

リトル・ピープルの時代

新潮現代文学〈33〉安部公房 (1978年)

新潮現代文学〈33〉安部公房 (1978年)

昨日は介護センターのスタッフが訪問。老母に面談して更新された「要支援2」を確認しました。
「要介護1」というワンランクアップの可能性もあり、現在、週二回のディサービスを週三回にすることも考えていたのです。
この一年は週二回のディサービスに決まり。
又、暑さがぶり返しなかなか出歩く気がしない。部屋で寝っこがり本を読むことが多いのですが、
本棚に積んでいた地元の図書館のリサイクルで頂戴した「新潮現代文学全80巻」の中から33巻の安倍公房を手に取り読み始めました。
リサイクル本なのでエル・ライブラリーの古本市に寄贈も出来ないし再読であれ読んで処分することに決めました。
でも、昔の全集は堅牢ですねぇ。表紙を取り外し、読みながら頁を破っていく。
仰向けになっているので読む進めるほど段々と本が軽くなってゆく。
そうやって、とうとう「砂の女」を跡形もなく読了しました。なんかスッキリしましたねぇ。
砂の蟻地獄に落ちた男は「砂の女」に囚われ「砂の日常」を次第に生き始めるのでしょうか?
砂を水に変換する発明は男を「承認」という高目にあげ「砂の村」の長になるかもしれない。そんな予感。
こういう古典は色んな読み方が出来る。それが面白い。
「砂を水に変える」科学技術が可能なら「放射線物質」を「環境にとって優しい物質」に変換することも可能かもしれない。
そんな真夏日の夢うつつで「砂の女」と戯れました。
放射線に汚染された日常」とは「砂の蟻地獄」かもしれない。
宇野常寛の新刊は未読ですが気になるねぇ。
でも、いまのところはページを破りながら新潮現代文学に挑戦します。
◆姪っ子からCDを袋一杯もらったので来月、エル・ライブラリーに寄贈しよう。何故か中島みゆきのセットがある。
ついでに、良く聴いていた愛聴盤なのですが、吉田日出子の『上海バンスキング』も寄贈だなぁ。