根拠地としてのブログ

これから駅前のモール街に行って買い物。帰りに支所によって市長選挙期日前投票をします。
内田さんがブログを更新したが、僕のブログは益々、身辺雑記の備忘録、日記に近くなった。
ミクシィも退会したし、ツィッターフェースブックもやらないで、このブログを拠点にシコシコやっている。
でも、殆ど日々更新で持続しているのは感心。まさに日記のノリです。< 私>メイドのアーカイブ倉庫でもある。
2000日以上を越えると結構、膨大なテクストが貯蔵されている。
例えば、入院時にiphoneアーカイブから色々と楽しむことが出来るわけです。

◆↑の内田さんのブログでとても他人ごとでない記事があったので引用します。

Yoo先生によると、保険も「20:80の法則」が適用される領域であって、全体の20%の加入者が給付金の80%を受け取る。
だから、この20%を効果的なスクリーニングによって保険に加入させないことに成功すれば、保険会社は健康な加入者から掛け金を受け取るだけで、病人には給付金を払わずに済む。
アメリカの保険会社は単年度契約であるので、「この加入者が来年一年間にどれくらいの給付金を請求することになるか」をもし統計的に適切に予測できるようになれば、保険会社というのは「金のなる木」を手に入れることになる。
だから、保険会社から大学での「発病予測」研究には膨大な研究費が投じられているのだそうである。
でも、「未来は未知」というのはほんとうで、スーパーコンピュータを使って演算しても、「この人が来年発病するかどうか。どのような病態をとるか。いつ死ぬか」はぜんぜん予測できない。
医療費のほとんどは末期医療に投じられているので、「いつ死ぬか」がわかれば、医療費支出は抑制できる(「じきに死ぬことがわかっている人間には医療行為を行わない」ということにすればよろしいのである)。
そして、「死期」を予測するために、さまざまな指標をとってみたが、結局いちばん信頼性の高い指標は「本人の自分の健康状態についての5段階自己評価」だったそうである。
「なんか、オレ、長生きしそう」とか「あと五年くらいで死にそう」とかような主観的な印象が、どのような客観的検査数値よりも統計的には発病や死亡時期との相関が高いのだそうである。
驚きますね。
人間はそういうことがわかる能力が潜在しているとみるべきか、あるいは「遂行的言明の力」を重く見るべきか。
たぶん、その両方なんだろうけど。
医療経済学という新しい学問分野を担う学究が、どうして僕のところにおいでになったのか、やっぱり理由はよくわからなかったけれど、「医療にビジネスは介入すべきではない」ということを断定的に言う人間がたぶんアメリカにも日本にもあまりいないからなのであろう。
というところでやっと昨日までたどりつきました。
http://blog.tatsuru.com/2011/08/23_1140.php

 僕もそろそろ「五段階自己評価」しようかなぁ。来週、チームを差配する部長担当医の診察があり、ホルモン注射をされる。それから6カ月の休みをもらったが、抗がん剤点滴が再スタートする予定。女医の担当医で「科学的エビデンス」をよりどころにする。少し目に見えないスーパーパワーについて横やりを入れてみようかなぁ、抗がん剤って「エビデンス」だけでは語れない部分が多すぎる。まあ、部長担当医は30%ちょっとぐらいだと謙虚ではあるけれど、プラセボにちょっとだけ色をつけた感じですか、僕自身の「目に見えないパワー」に賭けたくなりますよ。もう一人のケア入院でお世話になっている助教の担当医は「不動明王」みたいなガタイでパワーフル。体育会系のノリだけど、なんか信頼出来るんだよねぇ。