出版状況クロニクル40/原発音頭?
重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ 佐久間ダム建設記録 第二部 [DVD]
- 作者: ドキュメンタリー
- 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
- 発売日: 2007/08/24
- メディア: DVD
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小田光雄のクロニクルを読むと佐野眞一の『津波と原発』で『「フクシマ」論ー原子ムラはなぜ生まれたのか』の開沼博とのやりとりを思い出す。
開沼は昭和59(1984)年、福島県の内郷の生まれである。
――内郷っていうと?
「平と湯本の間です。常磐線で行くと、いわき、内郷、湯本の順になります」
――じゃ、「フラガール」の舞台になった。
「僕が生まれた頃は、常磐炭鉱はもうとっくに廃坑になっていました。『フラガール』の舞台になった常磐ハワイアンセンターは1960年代からつくり始めて、僕が磐城高校に行っている頃には、もう閑古鳥が鳴いていました」
――ところで、『「フクシマ」論』はゲラで読ませてもらいました。お世辞じゃなく、本当に面白かった。特に双葉町長の田中清太郎の“小物”ぶりと、その次の双葉町長の岩本忠夫が“転向”で果たした役割についての分析が興味深かった。原発労働者にもたくさん会ったでしょうから、お聞きしますが、同じエネルギー産業に従事しながら、炭鉱労働者には「炭鉱節」が生まれたのに「原発音頭」が生まれなかった。これはなぜだと思いますか。
「彼らは危険だということをわかりながら、自分を騙しているようなところがあって、その負い目が差別性につながっているような気がしますね」
――なるほど、その負い目が歌や踊りを生み出せなかった。でも、危険という意味では炭鉱労働も危険だよね。原発労働と炭鉱労働のこの差異はどこにあるんだろう。
「炭鉱労働者が感じる危険さは、漁師が感じる危険さに似ていると思います。誇れる危険さというのかな」
――誇れる危険さか。板子一枚下は地獄っていう。原発労働者は何シーベルト浴びたからって誇れないものね(笑)。
「炭鉱で死ぬっていうのは、すごくわかりやすいじゃないですか。でも、原発は線量計持たされて、すぐに死ぬわけじゃないけど、目に見えない気持ち悪さってあるじゃないですか」
――確かに炭鉱労働には、オレはツルハシ一丁で女房子どもを食わしているという「物語」が生まれやすいね。でも、オレが何シーベルト浴びているから、女房子どもが食っていけるなんて、聞いたことがない。原発労働に似ている労働って何がある?売春に似ているのかな。
「後ろめたい労働という意味では似ているかもしれませんね」(p222)
書影で内田樹さんたちの『大津波と原発』を隣にアップしたが、装幀が良く似ているねぇ。原発労働者と炭鉱労働者との差異ほどの差異はないねぇ。
参照:戦後社会・労働運動と《幻灯》 - エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)
◆「東日本大震災に学ぶ:わたしたちにできる映画フィルム救済」@NPO映画保存協会 - エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)