情報難民/アクセス数
◆健康ブログにリンクしたがために突如としてアクセスが何倍もアップして驚いたのですが、今、再読している武田徹の『原発報道とメディア』は従来型のマスメディアにもネットメディアにも違和感を感じ同じ欲望システムで稼働しているのではないかとの問題設定を行っている。
3.11以後で変わるべき「新しいジャーナリズムメディアシステム」を構築しようと、単に原発報道にフォーカスするだけではなく、その周辺で起こっている「存在の危機」」とも言うべき問題も抽出して継続して報道してゆくべきメディア論を構成しようとする意欲的な著書になっている。
かって堀江貴文がネットのニュースサイト上でアクセス数の順番でテレビのニュースを流すアイディアを述べたが既存のメディアから「コンピューターにジャーナリズムは出来ない。ジャーナリズムは人間の仕事」とすごく真っ当な反発があったが、でも結果としてそこで示される順番はネットとテレビと殆ど変らない。
- 作者: 武田徹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/06/17
- メディア: 新書
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確かに専門的なニュース編成者は、まずは血の通った生身の人間であり、自分の周囲の生命情報の中で生きている。その中から彼は社会的情報を選び、重要度で傾斜をつける。/しかしアクセス数で順位を変えるニュースサイトのプログラムも、アクセス数という数値から人間にとっての重要度を推し量るようにプログラミングされており、そこでは機械でありながら、社会的情報を選んでいるのだ。/そんな事情を思えば堀江のアイディアを罵って「コンピュータにジャーナリズムができるか」と言い放つ虚しさにも気づく。コンピュータだったらもっと省力化してできる類のニュースの選択を、テレビ局はわざわざ高い人件費を掛けて局員にやらせているだけなのだ。影響力や認知度では間違いなくマスメディア・ジャーナリズムの頂点にあると言えるテレビ報道は、そんな状態に至っているのだ。/そしてグーグルはそうした人気投票を更に洗練されたかたちでやってのける。(p180)
僕のブログのアンテナは今はプライベートに設定されているが、いわゆる一日のアクセス数が千人以上のアルファブロガーサイトに登録している数は少ない。ほとんどがそれ以下です。昔はアクセス数の多い有名ブロガーによく訪問していたが今や段々と減っている。アクセス数の高さと僕の関心どころと噛みあわないことが多くなったのです。テレビの視聴率と似たような状況ではないか。マスとネットの二分法の切断は表層で「深層の欲望システム」でいやらしくつながているとの疑念がある。
だけど、アクセス数、視聴率に変るべき魔法の杖はなんだろう。
そのヒントとして、リチャード・ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』、林香里の『<オンナ・コドモ>のジャーナリズム』が取り上げられている。
- 作者: リチャードローティ,Richard Rorty,斎藤純一,大川正彦,山岡龍一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/10/26
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- 作者: 林香里
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放射線の影響は広く関心事になっていたので、グーグルで検索すれば幾らでも情報が得られる。しかしジャーナリズムは、そうした世間の関心事になっていない様々な被災者のそれぞれの事情を掘り起し、そこに広く議題化される要素があるなら、それを報じることを通じて公共性、公益性に資するべきなのだ。つまり、グーグルがシュミレートする関心を巡る人気投票の対極の位置に常に軸足を置き、声の大きな人たちの共同性を逃れて、虐げられた人たちの生と死にあくまで寄り添いつつ、公益的で公共的な報道を目指していくジャーナリズム……。ポスト・グーグルのジャーナリズムにおいて、ジャーナリストやニュース・エディターは、「死体に涙する」感性を有しつつ、より力の小さな声を敢えて拾い上げる技と力を「反検索的報道家」になる必要がある。(p205)
◆文句なく僕の好きなサイトのひとつ:
文壇高円寺: 約半年後の雑感
文壇高円寺: 約半年後 その二
◆赤木さんが手書き日記を始めましたね。なんか「生命情報」の触感がある。面白い!