読みながら感染している

百万回の永訣―がん再発日記 (中公文庫)

百万回の永訣―がん再発日記 (中公文庫)

柳原和子の『百万回の永訣 がん再発日記』を読み始める。
本書は「がん再発日記」なので、なんとなく遠ざけていたけれど、僕自身再発でPSA数値も50越えになったし、じたばたしても仕方がない。
後は日にち薬で自己免疫力を上げるしかない。
ただ、自己免疫力アップと抗がん剤点滴とは真逆で(抗がん剤はいわば免疫力を下げることによる毒薬療法)、そこが悩ましいところ。
本書の柳原和子の悩みもそこに集約することが出来るのではないか?
ただ、本書に登場する有名無名の医師、市民運動家、看護師、メディア関係、友人たち、家族、宗教家たち、国内だけではなく、海外の人的ネットワークも過剰なほど入り乱れる。
当然、善意から様々な処方箋も提示されるし、こんなにも保険適用以外も、代替医療も加味して選択肢が多いと、僕なんかより悩みはより広く深いと痛々しさも感じる。
人的ネットワークの交通整理だけでも僕なんかならばストレスが数倍も加味されて免疫力が下がるなぁと思ってしまう。書き手の業を改めて思う。
すさまじい本であることは間違いない。読むにしたがってどんどんのめり込んでゆく。
手放せない。本に磁場が生じて僕の身体に感染する。そんな恐るべき本です。
アナーキスト「がん」は決して共存しようとはしない。その最強さを肝に銘じて置こう。ただ、不可解なものだからこそ、裏返せばそこに希望を見ることが出来る、確かに……。

さまざまな領域の医師たちと話し、確認した。/がんは人類にとっていまだにミステリー、という基本的な事実を。/わからぬまま治療している。だから、その治療が的確なのかどうかもわからない。/国際標準治療、治療ガイドラインというもっともらしい言葉が横行しているが、抗がん剤放射線、手術といった現代がん治療の処方箋や技術、手技の能力、手法、その組み合わせかたも医師によって微妙に、あるいはまったく異なり、同じ種類、同じ臓器、同じ腫瘍組織であったとしてもその効果に天と地ほどの差がでたりしている。すべては仮説と理解した方が賢明だろう。/再発後の治療法は、医師と患者の人生観や性格、その組み合わせで決まる……。ある人は統計で選択し、ある人は医者との相性で決め……。/「この先生がいいって言うから……」/「自己責任」「患者主体の医療」という言葉も流行している。だが、多くの患者にとっては医者への信頼=治療法の選択、が現実だ。生命を賭けた博打といって過言ではない。/どんなに熟考しようが、論理を詰めようが、期待する結果を得られぬかぎり後悔は免れない。/それでも実際にはありえない納得を求め、とことん迷い、道をさぐりあてるしかない。/死を受容できないかぎり、それが患者、ではないだろうか?/すべるように記したが、「死の受容」も、じつは言葉の操作でしかない。/症状のないわたしの肉体は死を受容できてはいない。/細胞のひとつひとつが今日も生存を渇望している。/生き物の本能、である。/肉体が衰弱すれば生存への欲求もいずれは従わざるをえない。痛みや苦痛は頭とこころに巣くう生存への欲までを消滅させてゆく。逆に考えれば、死の受容をうながす唯一の手だては痛みと苦痛、衰弱、とも考えられる。哀しいまでのブラックユーモアだが、一抹の真理が潜んでいる。だが、人類は限りなく生命を延ばそうと努め、病から痛みと衰弱をなくそうとしている。永遠を手にしたい、との欲望にかぎりなく忠実に従おうとしている。医療の飽くなき生存と安楽への挑戦は、じつは自らの首を絞める現実を一方で生み出してもいる。死の過程とその瞬間の苦悩を増幅させ、より複雑にさせていると言えなくもない。/便利さと合理性のはてしない追及が、生存への人間の動物的な本能・直観力、肉体力を奪いとっているという陳腐な現実と、それはどこかで重なって見える。/統計と画像をいくら眺めていても、最後のところはなにも読めない。/不可解の渦の中で医師もまたさまよっているにちがいなく、その不可解の渦中にあって戦々兢々としていないとしたら、その人は思考停止に陥っているだけ、と言っていい。不可解の渦が巻き起こす混乱にこらきれず、危険を察知して防衛的に思考停止している、とみることもできる。/不可解を楽しむ……。これは天賦の才によるか、きわめて文科系的な資質を要求される。/『がん患者学』で、がんは個別であり、病も死も個別、と書いた。だからこそ治療法も闘病のスタイルも個別への配慮がなされなければならない、その針の穴のような個別に対応する「何か」をみつけた人が長期生存をなしとげている……とわたしは記した。/個別を統括する能力はしかし、近代化とともにわたしたちが捨て去ってきたもののひとつだ。/だが、再発の領域に入り込んでみると、マニュアルや統計がいかに医療現場の、いやわたしを含めた現代人の支えになっているか、を思い知ることとなる。統計値を知ると、一瞬ではあるが、わかったような気分になる。選択の、人に語れる根拠をもらったような気分の高揚を覚える。/しかしそこに生まれいずるさらなる矛盾は、わたしという個体が統計のどこに存在しているのかを知る手だてがないという事実。/統計は全体を俯瞰する方法であって、わたしを知る方法ではない。/がん=不可解=個別の底知れなさ、深さはここにある。/がんがわたしを惹きつけて止まないのは不治=死への恐怖があるが、それだけではない。人智を超えた生命力、自爆覚悟で自らを守る棲家までも増幅する暴力性も大きい。/あらゆる生命体は生きている意味があり、同時に共存への適応をはたす……。自然の暴力性を知らぬ人たちのエコロジーへの安易な傾倒はここに理由がある。わたしの魂もまた、共鳴する。だが、それは一時逃れの、甘えにすぎない。わたしの体内にひそむブラックホールが反乱する。/がんは決して共存しようとはしない。/破壊しながら増殖し、適応せず、結果として自滅する。/近代の象徴である医学=科学的、論理的な秩序への希望をがんは暴力的に裏切る。/暴力、という言葉を記しながら、ふっ、とこころがやわらぐ。/ああ、わたしだ、と。捨て子の寂しさは、愛を求めすぎた寂しさは、暴力と似ている。/がんは、わ・た・し……だ。/しかし、ちょっと待ってほしい。/不可解とは、裏返せば、希望ではないか?/解読しえないなにかが残っている、という事実こそが、最後の、わたしを支える希望ではないのか?―2004/4/15より―

情報過多による選択の心理過程による考察本は白熱教室で放映されている シーナ・アイエンガーの『選択の科学』もチェック。

選択の科学

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