インテリアとしての本(旧ブログより)

前日、caloや恵文社といったリアル書店の中で、セレクトショップとして先頭を走っている本屋さんを紹介したが、両店とも店内に貸ギャラリーを経営している。でもそのギャラリーも店のコンセプトに合うものでないと、受付けないといったセレクトショップの方針を堅持しており、こんなこだわり本屋さんが立派に経営できると嬉しいものです。

ソニーe-Book など、電子書籍が発売され話題を呼んでいるが、その方式はユーザーがダウンロードで電子コンテンツを買うのではなく、コンテンツを使用する権利を買うわけである。ぼくのように携帯電話を持っていないシーラーカンスがかような講釈を垂れるのが、自分でもおかしいが、結局、着メロと同じようなサービスビジネスらしい。そして、ここが肝心なのだが、ダウンロードしたコンテンツはコピー出来ないらしい。かようにコンテンツの権利を持っているところにお金が流れるシステムがあり、その一点だけ押さえて、限りなくネットワークを拡げる。

ぼくの理解ではネットによる会員制有料図書館っていう位置づけだなあ…。なるほど、電子コンテンツによる出版流通はメインストリームなのであろう。だが、かような電子デバイスで太刀打ちできないものがある。紙デバイスの持っている自在さである。ぼくは本によく書き込みする。本文と関係ないことまで、書くことがある。メモ代わりに便利が良いし、切り取りの代わりにページを破くこともある。高価な(四万円?)電子デバイスではそんな、破壊をすると、全く使用価値はゼロとなる。まあ、一番の本音は新機種がドンドン、開発されて旧機種が嫌になり、新しく買い換えると、結局、紙媒体の方がお徳用かなと思ってしまうことです。それと、ちょいと、マニアックな理由もある。成る程、ぼくは本に書き込みしたり、汚したり、破いたりするが、そうしないで、丁寧に扱う本もある。

時にはインテリアとして、飾っておきたい、読むよりそれが優先するみたいな本があります。事実、特に古本業界あたりで、インテリアとして購入したいという異業種からの需要があるみたい。店のディスプレイとしても、中々効果的なアイテムにもなるし、部屋のインテリアとしても、優れものの装丁本がある。そんな外装に拘る本の紹介は中々ないが、bk1の評者“みーちゃん”さんは、意識的に書評をアップする場合、前口上、導入部として、本の装丁、装画に触れている。いつか、そのことだけをトッピングで“みーちゃん”さん独自の「装丁、装画を語る本」を読んでみたいと密かに思っているが、本日、bk1でロムしたら、kingさんが「装幀・挿画」について大いに語っている。愉しく読ませてもらいました。『競売ナンバー49の叫び』(トマス・ピンチョン著)のレビューです。『kingさんのレビューより』