ビジネス/文化/アート
葉っぱ絵入門 ― 見て、作って、贈って楽しむ葉っぱひとつの簡単アート
- 作者: 赤崎一雄
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/03/17
- メディア: 大型本
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◆マイミクさんの、おばあちゃんの「葉っぱビジネス」を読んでいたら、先日、民放で落ち葉で絵を描く葉彩画家赤崎一雄の成功物語が放映されていましたね。
「葉っぱ、されど、葉っぱ」、木の葉と言えど、馬鹿にしちゃあいけないね、タヌキだってお金に換えることが出来るんだから、人間ならば、もっと色々なことが出来るかも、
赤崎さんのおかあさんが、部屋に閉じこもって、「落ち葉」と格闘する息子を守り抜いて、やっとデビューするのですが、最初に赤崎さんを認めたのは、イタリアの画廊でしょう。
逆輸入ですよ、映画にしろ、海外で認められて、やっと日本で受け入れられると言ったパターンが多いですね。他の業界でもそうですね。アートであれ、学術であれ、何でかなぁ、やっぱし、心優しい談合体質が根底にあるのでしょうね。
それを吉と見てみんな仲良く生きるのも一つの選択肢だけれどもね、それによって失うものがあるかもしれない。もし、それが「美」であるとしたら、ちょっぴり哀しいね、ニッチもサッチも行かない果てに現れるものが、「もののあはれ」と言うしかないか、
◆そんな談合体質のことを茂木健一郎クオリア日記の「横浜美術館」での講演で喋っていましたね。最後の質疑応答で若者が茂木さんに「美とは何ですか?」って訊いていたが、僕もそこのところを徹底して訊きたいですね、とてもいい質問でしたが、残念なことに時間切れでした。 音声ファイルはここ(美と「私」−制約を恵みに変えるために−)ですね。
確かに文化とアートとは違うでしょう。日本にはいたるところに「文化」があるけれど、「アートはどこに?」って考えてしまう。
茂木さんの講演で質問者が、むしろそのような日本的体質が、人々を癒し、そのような文化構造が、談合的であるけれど、社会的な無意識として共有している部分がある。だったらそれを肯定的に取り上げ、「文化からアートへ」という普遍性に到る道を模索してもいいのではないか?という趣旨の問い(僕の大意)が発せられたが、
面白い問いだと思いました。
日本って「匿名文化」、「詠み人知らず」の伝統(無意識)が脈々とあるでしょう。
それを逆手にとって、「実名文化」でしか、「アート」にならないということはなく、
「匿名文化」であっても「アート」に成りうるんだという意気込みで作品を作るのも選択肢として面白いと思いました。
そうすると、そこにオープンソースの問題、著作権法、の問題につながって、結構、次のステージへとジャンプする駆動力があると思う。ネットの世界は、特に日本では匿名を基盤としていますからね、
欧米的「美」は実名性に支えられている。
でも、そこを脱構築して「顔の見えない鵺(ぬえ)」的なものかもしれないが、「美」(醜)へ到る道があるかもしれないということだと思う。
経世会的なものの「美」と言ってもいいかもしれない。それは、55年体制、1940年体制にもつながる。ネオリベさんたちが、壊そうと思っても、なかなかどうして強固でしょう。今回の参院選の結果も、そんな事情を読みとることが出来ますよね。