橋下徹/横山ノック

愛と暴力の現代思想

愛と暴力の現代思想

前日のエントリーで増山麗奈さんの「戦争より、エロス」のライブ紹介しましたが、僕の中にエロスって、無意識層に於いて他者と対峙するスパーク、ショートの境界線でしか生まれないだろうから、「暴力」、「アナキズム」と無縁であり得ない。むしろ、いわゆるネオリベこそが「エロス」を資源にしている側面がある。だからこそ、「エロス」の向こうに「戦争」があるのではないか?っていう疑念が生まれ、アポリアに陥ってしまうのですが、だからと言って、「戦争より、エコ」の方が有効かどうかわからない。
矢部史郎の『愛と暴力の現代思想』の中で矢部さんが、インタビューされているのですが、その「新自由主義アナーキー」から引用します。

矢部 そんなことはないですよ。少数派だというのはアナキストたち自身がそう思っているだけであって、むしろ状況はますますアナーキーになっているし、アナキスト的であることが、現代の標準的なスタイルになっていると思います。いま、新自由主義のグローバリゼーションによって階級関係も法体系もガラガラ変えられようとしているんだけれども、新自由主義の論理は、ほとんどすべてアナキズムを基調にしていると思います。
小さな政府とか、地方分権とか、国際化というのは、アナキズムですよ。八十年代からこれまでどんなスローガンが叫ばれていたか、振り返ってみれば、アナキズムの立場をあらわす言葉がたくさん見つかるはずです。ボーダレスとか、民間活力とか、貿易「自由化」、自己管理、自発性、個性、多様性、ボランティア活動、「自立」支援、「独立」行政法人、税制や地方交付金の議論では「公平」が持ち出されたし、自衛隊イラク派兵は、「人道」と「正義」の「国際貢献」なわけです。まるでスペインの国際義勇兵みたいじゃないですか。(p156)より

そのような意味で橋下改革は単なる「お金」ではなく、アナーキーな思想性がある。そこのところを突かないと道が開かれないと思うわけです。手強いのです。メタよりベタの方が怖い。僕だってベタに惹かれる部分がある。それは、情念、無意識な層に接続するからねぇ。と言うような視点で三回目の橋下改革のパブコメを投稿するつもりだったけれど、パブコメのフォームには馴染まないものなので、締めきり間近の投稿を諦めました。*1
少なくとも、前知事に比べて橋下知事には「エロス」がある。でも、前々知事のノックは、まあ、ミリタリーは似合わなかったけれど、「戦争よりは、エロス」のスローガンがぴったりの感じがしないでもない知事であった。さて、橋下知事はどうでしょうか。
追記:ブックマークしている方のコメントを読むと、矢部さんの「新自由主義アナーキー」(p115〜)は僕の引用が一部なので、色んな憶測が生まれるみたい。原テキストにあたってもらえるのが一番ベストなのですが、上に引用した部分の続きも紹介します。少しは霧が晴れるかもしれない。

ーーそれは、新自由主義アナキズムを横領した、ということですか。それともアナキズム新自由主義を用意した、ということですか。
矢部 それはわからない。どちらとも言えるし、両方あると思う。たとえば、一昔前に流行った「アナルコ・キャピタリズム」の提唱者とか紹介者というのが、アナキストなのかそれともアナキストを自称する新自由主義者なのかということは、これは議論しだしたら終わらない話になってしまう。私は彼らは偽物だと思うし、資本の手先だとも言うけれども、そういうくそアナキズムも含めてアナキズムなんです。前の世紀の愚鈍なアナキストが敵に塩を送った、と考えるべきです。だから、私や私よりも若いアナキストたちは、そうしたヘマの尻ぬぐいも含めて、新自由主義と旧いアナキストを両にらみして闘争を思考しなければならないわけです。アナーキーの包囲されたなかでアナーキーを構想しなければならない。なぜなら敵も味方もアナーキーだからです。ブッシュや小泉が舌足らずで子供じみていることも含めて、敵の戦略はアナーキーを基調としている。だから、ただ「アナーキー」と口にするだけでは対抗的な理念はたちあがらない。敵に打撃を与えることもできない。新しい問題設定が必要です。それは前の世紀に横領されたものを使い物にならないように破壊して、もういちど思想を回復する問題設定です。

それから、矢部さんに対して、「新しい問題設定」の中味をインタビュアーは問います。続きは本書か、『現代思想 04・05』で、読んで下さい。
参照:リバタリアンとネオリベ/自由とは - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
戦争と平和 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
天下りのようなことは、やめて、 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
自由と生存の分裂 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
国家と資本 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
普遍性のオルタナティブ - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
露出度がアップ・アップですね。 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

<盗作>の文学史

〈盗作〉の文学史

〈盗作〉の文学史

読み始めました。面白い、492頁の大部であるけれど、蒸し暑い夜に読んでも苦にならないどころか暑さも吹っ飛ぶ「盗作大全」です。栗原さんの単著のデビュー作だということには驚きました。
新曜社は頭が下がる出版社ですねぇ。
 追記:栗原裕一郎著『〈盗作〉の文学史 市場・メディア・著作権』(新曜社)を読了したのですが、ナンダロウアヤシゲさんとトークイベントがあるんですねぇ。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20080716