東西の知事を支える「当たり前」の人びと

「当たり前」をひっぱたく

「当たり前」をひっぱたく

僕は今、赤木智弘の新刊『「当たり前」をひっぱたく』を読んでいるのですが、ライブドアニュースでネットアップされていた「時事評論『眼光紙背』」を全部追跡していなかったので、大阪の橋下徹知事を見事にひっぱたいている記事が去年の9・11にリリースしていることを知らなかったです。

私がこの件で最も象徴的に思うのは、橋下府知事が言う「努力」という言葉である。
橋下府知事は「努力」というが、果たして府立国際児童文学館が行う努力は、誰かに評価される機会があるのだろうか?
そもそもこの施設はすでに廃止が決定している。それに対して、府立国際児童文学館が仮に来館者数を増やしたところで、橋下府知事は「来館者が増えているので、府立国際児童文学館を存続させます」なんてことを言うのだろうか? 多分誰もそんな可能性があるとは思ってないだろう。 
こうした状況は非正規労働者の現状と同じである。周囲からは「努力をしろ」と言われる。しかし、努力をしたところで、誰も評価しないし、待遇が良くなるわけではない。そのような状況が当たり前になれば、当然努力をするだけのインセンティブは失われる。
ならば当然「努力しろ」という人間には「その努力を評価する責任」が発生するはずだ。ところが日本ではほとんど「努力を評価する責任」の必要性が論じられることはない。
まともな指標もなしに「権限のある人間が認めれば努力の結実」であるとされ、地道でまっとうな努力よりも、おべんちゃらやコネ、そして付け届けなどのコミュニケーション能力が最優先される。それは、まさに橋下自身が指摘した、腐敗した大阪の(まぁ、大阪に限らないのだろうけど)公務員たちの実態である。
だからこそ、橋下は努力の指標を「来館者数」に求めた。指標もなく、何に対して努力をすればいいのか分からない現状で、「とにかく来館者数で判断する」そう判断したのだろう。
しかし、文学館の存在意義は来館者数にあらわれるモノではない。ズレた指標はせっかくの努力を間違った方向にゆがめてしまう。ーhttp://news.livedoor.com/article/detail/3813887/よりー

長々と引用しましたが、橋下徹に関する記事で、僕がトレースした限りでは、学者、ジャーナリスト、有識者と言われる人達が書いたものと比較しても最も的を得ている。引用した記事のちょっと前にネットの書き込みに見つけた「動物園にいって、ライオンが芸をしていない、イルカがジャンプ芸をみせないといって非難するようなもの」というたとえが最も言い得て妙だと、私は感じたと、赤木さんは書いているが「ホンマやなぁ」と僕も感じ入りました。先日のニュースで上野動物園の入園数が60年振りに300万人切ったこと、東京の都知事「工夫が足りないんじゃないか。パンダがいなくなったから客が減ったというのは短絡的だ」と指摘したが、
『「当たり前」をひっぱたく』のコラム『評価可能性のない「努力」などさせてはいけない』(p179)と『努力から目を逸らすな』(p183)の追記でそれぞれ、《努力を求めながら、決して評価しない人、in大阪/今の日本社会で、努力という言葉ほど虚しい言葉はない。努力したところで、果たしてどこの誰がその努力をちゃんと評価し、お金と敬意を払ってくれるというのだろうか?/昨今の社会は、弱者に対して努力を求めるが、その一方で努力に対する評価という責任をとらない人たちに対する責任を要求する声は小さい。》、《「努力を求めながら、決して評価しようとしない人、in東京。/本当に石原慎太郎は「他人に厳しく、自分に甘い」の典型みたいな人だ。/このときだって、一泊1500円のネットカフェ難民を批難しながら、石原自身は一泊十数万の部屋に泊まっていることを指摘されていた。しかも、ネットカフェ難民のように自腹ではなく、公務だから公費である。》と書いているが、こういう批評眼は赤木さんの真骨頂ですねぇ。
参照:http://homepage3.nifty.com/jibun-ouen/

通販の景品

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宅急便で通販の商品が届いて、付録として「備長炭入りつかえる菜ばし」が梱包されていたが、なかなかいいものだと思うが、手入れが面倒ですね。台所仕事はシンプルに賞味期限も気にしないでぐうたらにやりたい僕にとっては、猫に小判です。猫に備長炭です。しかし、大概の商品はここにヒットしますね。これも又どこかに提供しますか。