嶋重宣/赤いヘルメットの首位打者

多分、知らない人が殆どだと思うので、フリ仮名をつけました。赤ヘル(広島カープ)の四番バッターです。背番号はヤンキース松井秀喜と同じ「55」なので、「赤いゴジラ」と呼ばれていましたが、開幕当初の本塁打の量産にはびっくりして、横浜ベイスターズファンの作家保坂和志さんのBBSにカキコしたことがありました。保坂さんにベイスターズの次に、ビンボー市民球団赤ヘルを応援してあげましょうと、同情されましたが、横浜も広島も優勝は叶わなかったですね、まあ、予想通り。
年棒はプロ10年目でわずか、700万円、昨年の一軍出場はたったの2試合で、解雇寸前であった。本格左腕投手として、宮城東北高校で、三度、甲子園出場を果たし、94年、「江夏二世」としてドラフト二位で広島に指名されたのです。故障などで芽が出ず、五年前に打者に転向。ず〜と、一軍から声がかからなかったのです。それどころか、解雇寸前だったのです。打撃コーチが「あと一年だけ面倒をみたい」とフロントに掛け合ってくれたらしい。
今年優勝した落合中日監督は、二軍には才能のある原石がごろごろしている。安易に高い金を使って外から戦力補強する知恵のないことをやってはダメだと、若手を積極的に使ってきて、育てながら優勝フラッグを勝ち取ったのですが、赤ヘルファンとしても落合監督の手並みに拍手喝采したものです。納得の中日優勝です。嶋や、大リーグに行って大活躍したソリヤーノの例を見ると、二軍でも、一軍でも、同じプロとして、年棒の差ほどの差がなく、多分、原石としては紙一重なのでしょう。湯水のように金を使って選手補強をしている巨人軍を見ていると、益々その感が深くなりますね。
赤ヘルは優勝しなかったけれど、嶋というスターが誕生したことは、一陣の赤い涼風でした。