物語としての道理(大所高所)原田達“自己否定的改革”

大阪市役所問題に関してTohruさんがブログ“http://blog.livedoor.jp/andrew1003/archives/14589345.html”で示唆に富む発言をなさっている。一人一人が道理の眼を安易に放擲してすべて組織に判断を任せ、自らを思考停止にして意味性のない穴ぼこに入り込む。前々日来のぼくのエントリーでは逆にコメントのカキコは道理に拘泥すると、大きな物語に足を引っ張られ、正論対正論のガチンコになってしまい、様々なトラブルを引き込むことになるのではないか、そんな大きな問題はどうでもいい、意味のない世界、物語のない世界を肯定的に捉えようとしたスタンスでしたが、ぼくはその辺のところも理解が出来る。
◆僕の足場は揺れ動いているわけです。昔、僕の勤めていた会社が会社更生法の適用となり、同僚達と労働組合高田馬場のアパートを借りて立ち上げましたが、上部団体には属しませんでした。連合が設立されたのは1987年で、それ以前の話です。むしろ、上部団体に属すると政治問題、いわば大所高所の問題に関わらざるを得ないから、とにかく、われわれの生活を守ることだけの経済闘争をしたいと、単独の組合として発足したのです。でも、会社ともはっきりと一線を画してしました。見事な自律路線でした。この闘争方針は大成功でした。少なくとも会社更生法が適用されたが、社員の待遇がよくなったのです。
しかし、その後、ぼくは退社したので、正確な経過報告は出来ませんが、次第に組合が御用組合化したことは否めません。そういう流れの中でソ連ではゴルバチョフペレストロイカが始まり、1989年にベルリンの壁が撤退されるのでしょう。イデオロギーの終焉と言われ、大きな物語を語る振る舞いは影を潜めました。
◆そんな時代の流れで連合が発足したのでしょう。当然、一般組合員はただ単に一円でも生活が向上すれば、それでいい、公とか道理とか大所高所は政治家なり専従なりが考えればよい、現場はただそれを受け入れるばかりという常態があたりまえになった。そういう社会意識のない弛緩した状態は景気全体がいい頃は問題視されなかったのが、あまりにも、民間業界、他の地方自治体の待遇との格差が大き過ぎ一気に問題として噴出したわけでしょう。
節操のないそんな右往左往を自分のものとしても見聞きして自省すると、やはり、一人一人が腰の座った道理を持つことは必要だと思う。道理と言ってしまえば、大きなものであろうと、小さなものであろうと、物語を内部に引き込む爆弾を抱え込むことになるが、自己否定の相対化を不断に恐れず検証しながら、時に物語を無意味化してみたり、別の物語の変換を行ったり、常に自分の頭で徹底して考えるという振る舞いを身に着けることでしか、解決策はないと思う。
参照:“http://www.andrew.ac.jp/sociology/teachers/harada/index.shtml”から“http://www.andrew.ac.jp/sociology/teachers/harada/profile/coffee87.html”へ