万引き事後強盗

もう三十年以上前の話です。理工書担当のH君が出口のところで突き飛ばされた。彼は小児麻痺に罹った人で足元も多少不自由で小学生高学年ぐらいの背しかないが、明るい好青年でお客様からも愛されていた。ぼくは思わず身体が反応して走り出した。万引きだ!背の高い二十歳ぐらいの青年が歩道橋を一目散に駆けていた。階段を降り、後を追う。関内駅の改札口を突き抜けて北口から羽衣町に向かう。走りながら大声を発することは出来ない。ただ、追跡、走る。誰もいない材木置き場の原っぱがあった。青年は立ち止まった。まあ、僕は当時、25、6歳ぐらいだったと思う。まだ、元気だ。ぜいぜい息切れして、ぼくも立ち止まったが声が出ない。彼の手にきらりとひかるものがあった。(後で、横浜検察庁に出頭して副検事から散々検証されたのが、右手か左手かの問いでした、それは後述)
太陽は背にしていた。ナイフがどんな大きさのものか形か、そんな冷静な目は飛んでいた。光がスクリーンになっている。僕は一歩前へ出ようとして躊躇した。その一休止を見透かして、彼は又、背を向けて脱兎の如く走った。短い時間だったと思う。でも、彼の姿が視界から消えた。僕は急に怒りが込上げた。束の間でも臆病風が吹いたことに歯軋りしたのです。大通りを出るとおまわりさんがいた。声を掛け手短に説明して逃げ去った彼の方角を示した。ちょうど、小型トラックが目に入った。僕は運転手に事情を言い、助手席に同乗させてもらった。もう一度、追跡したくなったのです。ゆっくり、車を運転し、とうとう前方に追跡を逃れて安心したのか、ゆっくり歩いている青年を前方に見た。運転手は彼の少し先に急ブレーキをかけて停止し、僕は助手席から飛び降り、彼に組み付いた。不意をつかれて彼は観念した。
追いかけてきたおまわりは署に連絡し、やがてパトカーがやってきた。ぼくと、青年も同乗し、まず警官が確認したのは凶器でした。でも見当たらない。シートの下に青年はわからないように投げ捨てていた。良く見ると“ペーパーナイフ”であった。
翌日、地方版に強盗犯人を捕まえると僕のお手柄記事が実名で掲載されていた。県警署長表彰の流れです。でも、電話があったのは県警でなく検察庁でした。大体、この関内地区は市庁、県庁、地裁など、横浜の霞ヶ関みたいなところなので、僕のいた本屋の商圏にもなっていたところなので、歩いて気軽に行けます。そんな脱力した気持ちで行ったのに、会った副検事は矢継ぎ早に僕に質問の矢を浴びせる。正直に言わないと偽証罪に問われることにもなる。何だ、こちらが被害者なのにまるで加害者みたいな嫌な気分だ。せっかく、協力したのに、署長表彰どころでない。
勤務時間中にやって来たのに、「ご苦労様」の一言もない。彼は偽証罪の前振りで言ったのです「容疑者はナイフを左手に持っていたのか、右手に持っていたのか、どんな姿勢であったか」、察するところ、副検事は容疑者が初犯で処々の事情で書類送検したくなかったらしい。でも、事後強盗になると、そうはいかない。だから、犯罪の構成要件で暴行・脅迫の故意があったかどうかの検証を厳密にしたかったのでしょう。そのためには容疑者はナイフをかざしたのは、追っかけた僕を恐がって防衛の意志だったのであり、ぼくに対する暴行・脅迫・傷害の故意はまったくなかったという事実認定をしたかったのです。だから、利き腕でない手にナイフを持っていたということは物凄く重要なことだったのです。そんな深読みをした僕はアホらしくなりました。
「僕は彼に対して恨み辛みもないし利害関係もない、そんな偽証罪の危険まで犯してまで、この事件に関わりたくない、むしろ容疑者が書類送検されないならそれでも結構、いいんじゃあないんですか」というわけで、僕の表彰はパーになりました。
一度、正検事室で容疑者と会いましたが彼と面通しはなく、彼の背中越しに正検事の質問に答えるだけでした。僕はもう彼の言うとおりに相槌を打つばかり。彼の顔は忘れました。本屋の万引きは毎日ありました。専門の私服のガードマンを雇いました。彼は日々変装して店内をぶらつくもんだから、変に誤解されてストリートガールから声をかけられたこともありました。本屋には色々な人が出入りするのです。
カバー、おかけしますか?―本屋さんのブックカバー集

  • 画像は書皮友好協会で第一回書皮大賞を授賞した祐天寺にあった「あるご書店」のブックカバーです。*1現在この書店は撤退しましたが系列店が別の店名で古本屋として方々にあります。このブックカバーにSONOTOKI MIGITEGA HIRAMEITAと掲載されています。↓での退屈男さんからの情報です。他の系列店でこのブックカバーを手に入れることが可能です。

★本日のアクセス数(1058)

*1:頭につけた画像は抹消しました。同じものが、『カバー、おかけしますか?』の36頁に収載されています。