団塊の世代が年金生活に入ると…。

微々たる年金生活が始ってもうじき一年です。昨年の五月に旧ブログで年金について書いていました。わかりにくさは相変わらずですね、

年金問題は複雑怪奇でわかりにくい。じつを言えば、ぼくも前倒しで今年から受給出来るように申請を出したのですが、社会保険庁の窓口で説明を受けても、もう一つ腑に落ちませんでした。結局、「年金とは何ぞや」という疑問なのです。憲法第二十五条[生存権 国の生存権保障義務]で保障されているなら、例えば生活保護受給権で申請すれば、最低限の生活は年金に加入していようが、未納でも保障されるというわけである。国民年金一本では、受給される生活保護金額より低額が通常である。それどころか、二十五年以上保険料を支払っていなければ、一銭たりとも、貰えない。にっちもさっちも、いかなくなったら、生活保護申請をやりなさいと、いうことでしょう。但し、働ける頑強な身体であったら、無理でしょう。
先日、病院の待合室で、ぼくと同年輩位のオヤジに向かって、看護士が「○○さん、病院の方は問題がないから、ただ、生活保護申請は本人が行政の窓口に行って手続きをするしかないの」、なるほど、働けない病人であること、持ち家でないこと、貯蓄は五十万円以上持っていないこと等、必要条件はそんなものらしいが、生活保護受給者は年々増加の一途らしい。
往々にして年金の話は制度の詳細な説明になりがちであるが、余計に伏魔殿に入り込んで、迷宮入りしてしまう。確か、不条理作家カフカは労働者災害保険局といった行政の第一線の仕事をして、「迷宮小説」を書いたが、そんなカフカの世界を堪能する余裕はない。

毎日新聞5/17付け夕刊(2004年)で社会保障論の講義を担当している千葉大学広井良典教授が、年金の分かりにくさの絡みついた紐を明確に解いてくれている。先生は、そんな難解のものからでなく、年金の思想なり考え方を、まず明確に捉まえておくことそれが、理解の早道とおっしゃる。広井良典さんのマッピングを紹介します。
 ★基本概念★
A】「社会保険タイプ」(報酬比例年金)−サラリーマンを中心に、基本的に“払った保険料に見返りとして年金を受ける”⇒保険機能を中心にするものでドイツ型。
B】「基礎年金タイプ」(基礎年金)−“すべての高齢者に一定以上の所得を保証する”⇒所得再分配機能を中心にするものでイギリス型。

日本の年金制度が複雑怪奇なのは、Aと、Bと全く異なる思想的背景のもとに制度が増築、改築されたのです。すなわち、歴史的に当初は第一のタイプ(ドイツ型)から出発し、高度成長期に終わり(1985年)に第二のタイプを“共通の一階部分”とする形で(基礎年金として)導入したが、その基礎部分も、本来はすべて税で賄うのが整合的であるにもかかわらず「三分の二は保険料、三分の一は税」という折衷的な財源構成にした。ぼくの場合は厚生年金と国民年金と移行しているので、この報酬比例部分と基礎年金部分がどのように組み合って支給されるのか、そこのところが、もうひとつ、はっきりと、わからないのです。

広井さんの提言は公的年金制度が本来果たすべき役割はBの「所得再分配」機能であり、したがって、基礎年金を現在よりも若干厚めのものとし、その財源は税で賄い、“すべての高齢者に一定以上の生活を保障する”逆にそれを超える部分(厚生年金の二階部分)は移行期間を設けて民営化を図っていく。“高い所得の人が、高い保険料を払った見返りに高い年金を受け取る”ような制度まで国家が行う必要はないと私見を述べるが、あたりまえである。

郵政民営化もわかりにくいが、年金制度の抜本的な改革は早急に必要でしょう。