自死を徹底的に回避する、ブルーハーツそして北條民雄

 まっちゃんさんがエントリーでブルーハーツについて書いている。実は僕もこのブログで過去に書いているのですが、保坂和志さん、武田徹さん経由で知ったのであって1980年後半は殆どテレビも音楽もない生活だったので、インディペンデントのブルーハーツとは縁がありませんでした。まっちゃんさんもリアルタイムでブルーハーツのシャワーを浴びていたんだと、結構な年代層の広がりに改めて驚きました。さっそくリンクされていたブルーハーツのビデオを拝見しました。eo64から光ファイバーになりましたからね、日本の音楽番組のビデオですが、司会の古舘さんは若かったんだなぁと思いましたが、タモリの方は当時と今とあんまり変わりませんね。タモリも僕と確か同年でとうに還暦を越えている。アップされている曲は『リンダ・リンダ』、『TRAIN-TRAIN 』でした。
 武田さんは『ブルーハーツ』の『チェルノブイリ』について《これはもうメッセージはとてもシンプルで「チェルノブイリにはいきたくねぇ」、要するに被曝しそうな場所には行かずに愛する女の子とまったりしていたいというものだ。こういう危険を避ける感覚はきわめて健全だ。イデオロギーに殉じて危険に敢えて臨むような感性の全てをと袂をわかち、極端に私的な世界に立脚することでブルーハーツは支持を得た、つまり公共に繋がって行く回路を逆説的に得たのだと思う。それは武士道、靖国から実は全共闘まで一貫して流れる公のために自死もやむなしという思想から離脱する、ラディカルに新しい思想だったようにも思う。言ってみれば、それは自死をよしとしない思想である。思想というとおおげさだけど、やはり一つの思想なのだと思う。》鶴見俊輔自死について違和感を感じて2004年、4/13の武田徹オンライン日記で、『自分すら殺さないことって?』のタイトルでアップされたものです。)

ところがここ十年ぐらいの時間にあえて思想史的な解釈を適用すると、そんなブルーハーツ思想の時代はいつしか終わっていたようだ。死の危険を賭してでもイラクに行く。たとえ自分が死んでも誰かのためになりたい。報道を通じて世界に真実を伝えたい。あくまでも建前かもしれないが、そんなことを悲壮な自分の信条として躊躇なく語る人が増えているように感じるし、世間一般もそれをどこかで肯定する雰囲気があるように思う。
福田官房長官は「時代が変わった」といったが、まさに時代は変わったのだろう。変わったというよりも戻ったと言うべきかも知れない。大儀のためには死んでもいいと思う若者と、彼らの死を犠牲としても自衛隊撤退なしのスジに殉じるべきと言う政府は案外と近い場所に位置している。
その類似性はともかくとして、その一方の反戦・非戦的な傾向について、だけど、自死を前提とする思想で本当のところで戦争を否定できるのかとぼくは思ってしまう。
ブルーハーツのメンバーがステージでとびはねていた時が、日本は最大瞬間風速的に平和だった。その後ブルハは新興宗教問題で解散し、その先にはオウムの時代がやってくる。瞬間最大風速的な平和がなんだったのか。ボケとか形容されることが多いけれど、それは形容する側の立ち位置も問われるわけであって、自死を徹底的に回避しようとした思想の意味はどこにあったのか、そんなことを思想史的に整理しながら考えてみることは今だからこそ必要かも知れない。

 長々と引用しましたが、武田さんは「だけど、自死を前提とする思想で本当のところで戦争を否定できるのかとぼくは思ってしまう。」とブレていない。
 マイミクの山寺の住職自死について強い怒りを隠さない。『地獄』の一文から引用します。

頑張るを、「だらしなく生きる」につなげるのではなしにほぐすには、背景に意識を拡げる必要がある。「私(個人、主体)」を拠りどころとする限り、「頑張らない」は私が私であり続けることの放棄につながるのを避けられず、積極的な態度とはなり得ません。せいぜいよくて「力を抜こうと力みかえる」ような滑稽な姿になるのが落ちです。
上手に「頑張らない」ためには、「私」を裏側から眺めればよいのです。たとえば逆立ちをするとき、脚の代りに腕で「立とう」とするとなかなかうまくいかないものですが、「地球にぶら下がる(ぶら上がる?)」という感覚がつかめると、案外簡単に立てます。任せるところを任せてしまうのがコツで、落ちようとする足首の下に膝があり、膝の下に腰があり、腰の下に肩があり、肩の下に手がきて、そして手の下に地面があれば、それで立派な逆立ちですから。
私の裏側、私を取り巻く一切のものが、得体の知れない不気味なもの・暗黒・空虚・無意味としてではなく、この私を慈しみ育む慈愛の総体として味わわれたとき、それを他力と呼びます。地獄は「行く」ところではなくて、今現にこの私が「造り住み着いて」いるところに他なりません。目の前(自分の欲望)しか見ず、大きな全体を知らずして、自分で自分の首をしめ、それで一人前のつもりでいるのが地獄の住人です。要は、自分を重く見すぎて結果的に自己に「閉じて」しまった(頑張る=我に張る)ところが地獄だということでしょう。
私は、息子の退院を、単に「治った=よかった=頑張った」というところで小さく喜びたくない。「治る(という自分に望ましいできごと)」がゴールならそれは小さな達成感に過ぎず、また達成できないこともあり得る話で、詰まるところ地獄の中の話に留まります。
治ってよし治らなくてもまたよし。その中で何と比べるでなく「端的な今の出来事」として大きな背景の中に退院を喜びたい。欲望を限りなく加速させることでかろうじて意味を支えている現代は、切りなくエントロピーを高める、くつろぎのない、熱い時代です。耳慣れた現代的な意味づけ(治った=よかった)に逆らい、状況にかかわらずそのままに「今のあり様」として慈しむことができれば、それは跡を汚さない(エントロピーを高めない)生き方にもつながるはずです。

 ここにも自死をよしとしない思想があります。
参照:http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20050604/p1
   http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20050317/p3
   http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20050109/p1

いのちの初夜 (角川文庫)

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