犬死によりは怪猫、飼い猫よりは野良犬


 昨日、久しぶりに電車に乗って『従軍』というタイトルのある関東軍満州事変記念写真集を専門図書館に寄贈しました。司書の方の話では国会図書館大学図書館を始め、蔵書検索して調べてもヒットしなかったという。*1
 膨大な写真だけでなく、作戦要図とか、詳細な年表、キャプションが掲載されており、資料としては一級品のお墨つき?をもらいました。
 非売品であるけれど、オヤジが属していた(満州事変の頃は23歳の歩兵一等兵です)連隊の満州事変参加写真集も寄贈で、こちらのタイトルも『従軍』なのです。両方とも紙質、一葉、一葉に写真のところは全部、パラフィンが挿入綴じされており、こんな手の込んだ製本は今時珍しいですよ。
 司書の方の話では、「展示にしようかなぁ」って言っていました。もしそうなれば、お近くの方は現物で、その情報の多さに驚いて下さい。
 オヤジはこの本っていうか、写真集を大事に保管していたのですが、何せ、ちっちゃな陋屋に住んでいた頃でも、旗日は必ず、日の丸を軒下に掲揚していたほどで、戦争が終わった頃は下士官曹長?)だったわけです。徴兵されて約10年超、青春が戦争だったわけでしょう。オヤジのアイデンティティは満蒙の地にあったのかと思い遣ってしまう。そんなオヤジを僕は冷たい目で見ていましたね。
 でも日常生活において、ストイックな暮らしをしていた。大雑把に、ウヨ、サヨっていう言葉を使わせてもらえば、若い頃の僕の友人たちを見ても、ウヨの友人は礼儀正しく、字も綺麗、一緒に食事や飲んでも、カネがなくとも、奢りたがる。要は「イイカッコーシィー」ですね、くそ真面目。
 オヤジもそのような真面目で、「イイカッコーシィー」なので、他人から好感を持たれていたのは間違いない。
 それに比べて、サヨの友人たち(団塊の世代が多いけどね)は、面白いけれど、衒いがあってではなく、生理的にか、まっとうな挨拶が出来ない。(勿論、仕事関係ではやっていると思いますが、それが、いかにもがと言うか、過剰ですが…)そして、殆どの人が字が汚い(僕もそうなので、あんまり言えないが)。
 人に奢るっていうこともあまりしない。ワリカンが多い(それでも、僕はよく奢ってもらったので、あまり言えないですが、一般的な傾向として)。要は「イイカッコーシィー的な振る舞い」をせせら笑うアイロニカルな冷たさを持っているということです。
 「情」の濃度がウヨは熱く、サヨは冷たいという粗っぽいスケールを持ち出してもそんなに誤差はないと思う。
 だから、息子として、オヤジはサヨよりウヨの方が暮らしやすいっていうのがあったかも知れない。そう言う意味で、「オヤジは熱く息子のことを考えていた」という「情」を信じることが出来たことは間違いない。オヤジは商人だったのに、息子に出家をすすめましたからね。
 昨夜、途中からオールニートニッポンを生視聴したのですが、*2赤木さんや雨宮さん、杉田さんが、サヨ関係の集会の飲み会にしろ、フリーターにとって時給で働いている身分で参加する事自体が大きな出費で、その上飲み会の三千円を平気で徴収しようとするサヨ団塊のオッサンたちの懐の暖かさや、明日の食事に事欠く「現代の貧困さ」に対する絶対的な想像力のなさを嘆いていましたが、「当たり!」って思いましたね。*3
 そんなに苦しければ、自分たちで運動を立ち上げればと言ってしまう進歩的サヨ文化人の「冷たさ」って言うか、ズルさって言うか、そういう調子の良さは確かにある。
 意外と、ウヨの連中はこういうことに関しては気配りがきく。無理して誰かが、ここの席は「ワシに任せ」っていうことになる。まあ、そういう熱い情が「談合社会」へとつながるのですがね。どちらがいい、悪いという二択ではなく、状況判断とバランスだと思うけれどね。
 どちらにしろ、「貧困問題」は「格差問題」とは違う。建前として日本には「貧困はない」ということで来たのでしょう。あれば、憲法上で保証されている25条違反となり行政の怠慢が弾劾される。「ワーキングプア」もそもそもあってはならない問題で、政治・行政の不作為なのであって、「自己責任」、「格差」とはまるっきり違う問題なので、保護法/市民法の切断があるわけですよ。
 貧困は保護法の問題で「どのような手当てをするかの処方箋」で、風邪を引いたのに、治療を拒否されて「自己責任」と診断されるのと同じ事態でしょう。それはオカシイ、そういうこと。
 「再チャレンジ」の問題も、治療をした後の問題でしょう。年金問題も早急に治療しなくてはならない。治療しないで診断なんて「犯人探し」でしょう。まず、治療を施すこと。
 ◆こちらの図書館には月刊『オルタ』も揃っていますよ。松岡正剛の千夜千冊も全巻あるし、『風の旅人』のバックナンバーもあります。京阪天満橋駅下車、「エル大阪」の二階にある大阪府労働総合情報プラザです。
 ◆コムスンにしても、地下室のスパイダーさんの『介護ビジネス』の記事を読むとまさにそのとおりで、僕の友人で団塊のオバサンですけれど、ヨコハマで介護の仕事をしている。国家試験にも合格して、現場で働いていたが、僕とそんなに年の差がないから、体力がもたなくなった。
 今は事務所で訪問派遣の計画調整のような仕事をしているみたいですが、確かに薄給ですよ。アパート暮らしで車は勿論、テレビもない(まあ、本人の生活スタイルですが)、それでも、彼女の生活には「文化の香り」がする。それが不思議ですね。
 ◆こちらも団塊のおじさん、保坂和志さんとHPを管理している「がぶんさん」の闘病日記(脳腫瘍手術一周年勝手に記念)がアップされたのですが、その自己相対化に僕は不謹慎にも何回も笑ってしまった。例えば、一回目の冒頭で「人生には失敗がつきものである……。」とあって、失敗をクリックするでしょう。そうすると、唖然とする動画が飛び出すのです。どうぞ、確かめて下さい。
 かような素敵な人情の機微もわかる団塊のオバサン、オジサンもいるのです。
 でも、赤木さんは、ちゃんと、社蓄を厭わず、正社員になって、家を持ち、結婚し、子供を育て、親孝行もし、そんな暮らしを希望しているのだから、そもそも、こちらのオジサン、オバサン、僕も含めてとは違う夢を思い描いているわけで、こんな絵に描いたような生活設計が簡単に実現できる予感を与える社会システムが構築されるべきなのは、憲法上当然でしょう。
 それが、行政、政治の仕事であって、「自己責任」っていう言葉を投げるんであるならば、そのようなオヤジ、オバハンに投げるべきでしょうね。でも、野良犬、化け猫は手強いですよ。
 それはそうと、n-291さん経由で知った、こちらの貧乏物語には笑ってしまった。

金子光晴×稲垣足穂×田中小実昌 鼎談 - Hugo Strikes Back!
その1  http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2006/09/post_aaf5.html
その2  http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2006/09/post_04cd.html
その3  http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2006/10/post_f86d.html
その4  http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2006/10/post_8209.html
その5  http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2006/10/post_319f.html
金子光晴『下駄ばき対談』(現代書館)より

 やはり、僕の団塊の世代の友人で、小説を書きながらフリーターをやっているのがいるのですが、三日間ぐらい食事しなくても、平気でしたね、今もやっていますよ、でも、誰よりも身奇麗でこざっぱりしている。
 佐藤優の『獄中記』を読むと、美味しそうな食事と、衣食住の煩わしさから解放されて、読書三昧に耽る監獄生活に「そうか、ここに自由がある」って倒錯した気分になりましたね。
 監獄より世間の方が自由がない、あながち見当はずれではないと思う。僕も入院生活を楽しみましたから、ベットの上で一日中本を読んでいました。ただ、愛煙家、酒飲みはガマンできないでしょうね。

*1:訂正します。国会図書館大阪市立図書館にありました。ちなみに展示コーナーのほうは閉架になってまして、それは「大阪府労働情報総合プラザ」ではなく、「大阪社会運動資料センター」の方になります。

*2:これから、こちらで、いつか、データアップされるでしょう。http://www.voiceblog.jp/ann_archive/

*3:http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070609