飛べないアヒル、ネギ背負ったカモ

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)教育と格差社会下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たちエッセンシャル・ボブ・ディラン
 まっちゃんさんの『教育ネオリべ』エントリーで、ミクシィの方にコメントし、レスもしてもらったのですが、
僕もこちらの本文にコメントをコピペします。

 相変わらず、青土社はいい本を出しますね、
 SPA!の世紀末相談だったか、佐藤優がリスク社会を生延びる処方箋を書いているのですが、(手元に雑誌がないので、大意です。)
 ネットカフェ難民の状況から抜け出すには、まず、一人頭、20万円で15人の人から借金して300万円を作り、二年分ぐらい一括前払いでアパートを借りて、住居を確保して、とにかく、なんでもいいから、働く場所をみつける。それから、貯金もしながら、借金も返す算段で日々の暮らしを切り詰める。 でも、そんな15人もの人的ネットワークがあって、禁欲的な暮らしが持続できる強いものを持っているなら、そりゃあ、何とかなる。
 問題はそんな強靭なものを持たなくとも、ぶらぶらしても、何とか生きていけた社会(共同体)は、はるか遠くなったし、
 それは、近代社会がもとから萌芽したものが成熟したわけで、 当然、予測できたわけでしょう。
 国家に頼らないで、人的ネットワークでリスクヘッジしようと思っても、いまさら、古い共同体を呼び戻すことは、無理でしょう。
 「三方一両損」に変わる「winーwin」のネットでリスクヘッジするビジネスモデルを基底にしたもの、ほんのわずかな稼ぎ(希望)でも,生きられる社会ですか、そのような意味で「ふるさと納税」の趣旨は理解できるのですが、でも「古い共同体」にすがるようないじましさでなく、もっと違う命名で、未来系の「ふるさと納税」のようなものが提示できればいいのですがね…。

 上のコメントで「リスクヘッジ」だとか「三方一両損」なんか書いているのは、遅れ馳せながら、内田樹の『下流志向』を読んでいたので、その感染でこんな言葉使いをしたのだと思う。確かに内田さんの論述は、直感と思いつきが先走って「びっくりするような発想」をするのですが、僕にはそれが面白かったのです。
 フロムの『自由からの逃走』をもじって、話を進めるのですが,「学びからの逃走」、「労働からの逃走」の主体は無時間モデルの場に「消費主体」として子供の時から「自立」してしまっちゃう不幸が基盤にあるのかもしれない。等価交換は迂回とペンディングを好まない。「意味を問い」、「変化を望まない」、そのことと、「学ばない子どもたち」、「働かない若者たち」とをつなげて論じているのですが、見事な論理展開であるからこそ、「待てよ?」って、立ち止まってしまう。
 そう言っても僕の周辺に、「一生懸命学び過ぎる子どもたち」、「働きすぎる若者たち」が結構いるような気がします。少なくとも、僕を含めたオヤジ連中より「よく働き」、「よく学んでいる」ような気もするのです。僕はよく食材とか色々と買い物をしますが、若者たちの接客態度に不快感を持ったことがあまりないですね、今日も梅田のヨドバシカメラで先日買ったパソコンの周辺機器を、少し僕のパソコンでは不具合だったので返しに行ったのでしたが、にこやかに応対してくれて、全額返金してくれました。それでなんとなく、お徳感があってシルバー料金で、梅田ガーデンシネマで、伊坂幸太郎原作、中村義洋監督『アヒルと鴨のコインロッカー』を見ることが出来ました。館内はほぼ満員で、みんな画面に引き込まれていましたね。「買いですよ」、濱田岳瑛太のW主演なのですが、濱田岳って、いいねぇ、見ているだけで飽きないw。
 三方一両損ナツメロは断念して、だからと言ってwinーwinの関係をオルタナで用意できるかと言えば、自信がない、 アヒルと鴨の違いについて考えてみます。風に吹かれてカモは飛んだ、アヒルは飛べない、 なんて言うのは答えになっていないですね。
 追記:本屋時代、僕も万引き犯を追いかけて立ち回りしたことがありますが、この事件は『哀し過ぎる出来事』です。映画『アヒルと鴨のコインロッカー』で本屋襲撃のシーンがありますが、今でも、万引きのシーンを見ますよ、そういうアンテナが今でも鋭敏なのでしょう。なんとなく感じるのです。ある本屋で、挙動不審の若者がいて、僕と目があったら、関係者と間違ったのか、本屋を出る手前でユーターンしてバックから本を出して棚に戻しているわけです。苦笑いしましたが、まあ、一件落着で、そのまんま、僕は本屋を出たわけです。
 そしたら、僕の傍らを脱兎のごとくさっきの若者が走り抜け、チャリンコに乗って、あ!と言う間に去りました。
 多分、僕が単なるお客さんだということに気づいたから、又、棚のところに戻って再現したのでしょう。(苦笑)
 僕が体験した万引き事案:http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20050228/p1  
 今、この記事を読むと、これでよかったんだと思う。ペーパーナイフではなく、もっと鋭利な刃物だったら、不幸な事態もありえた。
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007080401000229.html