札束でひっぱたかれたいですか?

賭博者 (新潮文庫)ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)投信バブルは崩壊する! (ベスト新書)
 id:anhedoniaさん経由「逆転不能」から、『赤木智弘にひっぱたかれたくない!』を読む。
 赤木さんの論文は二次、三次情報を含めて色々な読みをしているのだと、改めて思う。だからこそ、見ようとしなかった問いが生まれたわけでもあるし、避けていた問題が突きつけられるという事態にもなったわけだ。
 円高、株安の金融市場を見ても、一寸先はどうなるかわからない。正社員であれ、非定期雇用者であれ、経済の非情さは平等に襲いかかる。しかし、札束で頬をひっぱたかれる?ことは、いいことか、つまらぬことか、まあ、そんな体験は一度も、来なかったし、これからも来ないだろうなぁ、
 マイミクさんが信用取引で、無茶な投資(バクチ)をやっている個人投資家の明日を心配していたが、ここも悲惨な戦場ですね。でも、ある種の公平さがある。公平さがあれば悲惨な生活にも耐えられる。
 サブプライムローン証券化した分散投資グローバル化された市場の中に危険がばらまかれたのでしょうが、「アイロニカルな没入」で戯れる「再帰性」が、 いつか「恒常性」にリンクして、地獄のエロスを味あう一歩手前で踏みとどまる分水嶺信用取引ですよ。
 個人投資家は「信用取引」に手をつけっちゃあ、いけないね、あちらの世界を召還することのリスクが高くなってしまう。(信頼をやりとりすることの功罪か)
 まあ、ギャンブルのエロスは理屈ではないから、わかっちゃあ、いるけれど、やめられない、どちらにしろ、信用取引の投資は「ギャンブル」です。(宗教的共同性、企業的共同性、文化的共同性の問題。)
 ただ、ギャンブルは束の間、夢を見させてくれますからね、「偶有性」なのです。勿論、地獄も…。
 知人で、競馬の好きな若者がいました。彼はもの凄い量のデータを抱え込んでいるのですが、絶対、馬券を購入しないのです。シュミレーションとしてのゲームを楽しんでいるのです。徹底してリアルに触れない。それが楽しいみたいなのです。こういうハビトゥスはわからないですね。
 でも、まわりに迷惑をかけない。