マイミクさんのコラムを紹介

猪木詩集「馬鹿になれ」

猪木詩集「馬鹿になれ」

 ミクシィで時々とても面白いコラムに会う時があります。そうすると、ミクシィだけでは「もったいない」って思ってしまうのです。そんなことで、マイミクさんの了承をもらって全文引用コピペします。
 コラムタイトルは【亀田騒動】希望は、猪木。です。

 「すみませんでした」大毅が内藤に頭下げた 。(http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=319832&media_id=30
 最終的には一国の首相までがコメントを発しなくてはならない程『祭り』が拡大してしまいましたが(ここまで拡大した要因としてのネットでの炎上現象については再考が必要ですね)こんな騒動がメディアを独占してしまって、他に国民が知るべき重要なニュースがあるんじゃないの、テロ特措法とか消費税増税とか、もっと重要な問題から国民の目をそらす為の陽動じゃないのと、ついつい陰謀論的な勘ぐりをしてしまうのがネット依存症の悪いクセなんですが、それは置いておいて、この騒動が終息に向かったのも、内藤の大人の対応っていうのが大きいですよね。外野がどう騒ごうが、実際にリング上で12ラウンド殴り合った二人のリアルには到底かなわない訳で、内藤が許すといえばそれで終わりですよね。内藤だって、亀田一家がいなければここまで注目を集める事はなかった訳だし、ファイトマネーもかなり上がっただろうからあんまり悪く言えないっていうのもあるんでしょうけどね。
 亀田大毅も、内藤という他者と出会い、自分を持ち上げていたメディアや視聴者が、まるで傑作映画『ブラックブック』のラストのように物の見事に手の平を返す光景をまざまざと見せつけられることで、色んな事を学んだと思うんですよね。そんな彼が良い方向に向かっていけるような社会を、僕たちは目指すべきなんじゃないかと思うんですよ。挫折したお調子者が一生這い上がれないような不寛容な社会って息苦しいと思うんですけどね。
 そういう意味でも重要なのは、エリカ様についての日記でも触れたように、通常の教育システムでは通用しない跳ねっ返りを『社会化』する機能があったはずの、芸能界だったり相撲界だったりボクシング界、そういった伝統的教育システムの機能不全の問題だと思うんですよね。繰り返しになっちゃうんで同じ事は言いませんが。
 そんな中、こんなmixiニュースを見つけました。猪木が亀田兄弟に提言「海外修行しろ」(http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=316412&media_id=8 )猪木のことですから、亀田騒動の利権にあやかって一儲けしようという腹黒い魂胆があるのは当然なんですが、同時に本気で亀田を更生させてやりたいとも思ってるはずなんですよ。猪木って表裏じゃなくて、良い部分と悪い部分が全部並列して表にある感じがするんですよね。だから憎めない。こういう清濁併せ持つトンデモ人物じゃなければ、亀田のような人間を更生させるのは無理じゃないかなぁなんて、ちょっと思うんですよ。
 亀田の反則なんて、猪木VSアクラム・ペールワン戦での猪木のサミング(目潰し)なんかに比べたら可愛いもんです。まあ、この戦いは噛み付き急所攻撃なんでもありのルールだったから目潰しは反則じゃないんだけど、この敗戦が元で、アクラム・ペールワンは後日自殺しちゃってますからね・・・。その猪木の子分でもある空手家ジェラルド・ゴルドーも、対戦相手である中井祐樹の右目を故意のサミングで失明させたりしているんで、そんなのに比べたら大毅の反則なんてちっちゃいちっちゃいです。
 そもそもお互いの体を破壊し合うってことが格闘技の本来の目的な訳で、目潰しや金的とか、たとえ反則でも、それを回避出来なかった方が未熟だっていう考え方もあるんですよ。極真空手の第五回世界大会で、止めがかかった後でフランシスコ・フィリォの上段回し蹴りを食らって失神したアンディ・フグに対して、かの大山倍達総裁が「止めがかかったとはいえ、その不意をつかれる者は勝者ではない」という判断で一本負けを宣告したのは格闘技好きなら知らない人はいない有名な話です。
 これはさすがに一般人には計り知れない無茶苦茶で恐ろしい感覚なんですが、こういう狂った側面も内包して成り立っているからこそ、普通の社会には到底馴染めないようなゴロツキでも、その世界で生きて行ける懐の深さがある、とも言えるんですよね。ヤクザ社会も同じ、自衛隊だって同じで、ヤクザなんて、自衛隊なんていらないっていう人は、こういう世界で自らの破壊衝動をようやくコントロール出来ているような人を、市街に野放しにでもするつもりなんでしょうか(笑)
 僕はこういう『グラップラー刃牙』的な格闘技の世界に危険な魅力を感じるし、憧れたりもするんで、デンジャラスな部分を完全にルール主義で割り切ってしまってスポーツライクになってしまうのはあんまり好きじゃないんですよね。
 少林寺北京五輪に出場せず=競技武術と一線−中国 (http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-06X681.html )なんてニュースもありましたが、ジャッキー・チェンなんかを観てるとなんだか牧歌的にすら感じる中国武術クンフー)も、本来はルール無用のえげつない殺し合いの技術の集大成な訳で、競技武術と相容れるはずが無いのです。僕のちょこっとかじっていた流派も、目潰しや金的を如何に効果的に狙うかっていうだけで凄い技術体系がありますからね、もちろん僕なんかには教えてもらえないレベルの話なんですけど。ここら辺の話はユニバーサルデザインとしての優しいグローバリゼーションと、危険だけれども魅力的な固有文化との軋轢、っていう側面でも語れますよね。民主化による画一化と軍事政権の元での固有文化の保護、っていうミャンマーの問題とも被ると思います。
 参照:軍事政権と民主主義の間(http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20071002
 とにかく、いまや独りで昭和プロレスの胡散臭さを体現して空回っている感のある猪木ですが、彼の胡散臭さは端から見ている分にはやっぱり嫌いになれません。近くにいると酷い目に合わされそうですが、そういうことも含めて、教育者としての猪木って案外イケてるんじゃないかって最近思ってます。弟子達が皆、途中で猪木を見限って独立しちゃったりしても全然気にしている様子が無いのも、亀田父子の『母子密着』よりは随分とマシな気がします。しかし、サミングとバックドロップって亀田大毅も猪木の弟子の資格十分だよなぁ(笑)
 ちなみに清濁併せ持つ『大人』として、幼少の頃の記憶に残っているのが、出崎統の傑作テレビアニメ『宝島』のジョン・シルバーという海賊なんです。シルバーは最初主人公の少年の仲間として登場して少年の憧れの存在になるんですが、途中で海賊の財宝を横取りする悪役に転身して主人公達と争うんですよ。それでも最後まで憎めない魅力的なキャラクターなんですよね。物事は敵味方、善悪では割り切れないってことを子供心にもちゃんと学ぶ事ができる素晴らしいアニメです。やはり日本アニメの黄金期は70年代後半から80年代前半だよなぁ。万が一自分にも子供が出来たら是非この『宝島』を見せたいです。まあ、たぶん一生そんなことは無いんでしょうが(涙)
http://www.tms-e.com/library/tokushu/takarajima/index.html
http://www.tms-e.com/library/tokushu/takarajima2/index.html
 ニコ動で検索したら、これから『宝島』をコツコツUPしようとしている勇者がいるみたいなんで期待大ですね(笑)ちなみに有料で良いならここでも観れるみたいです(Mac不可)
http://www.tms-e.com/online/lineup/takarajima/index.html

 こういうコラムを表でも読みたいと思う。何故、こんなにもマスメディアが劣化したのか、いい切っ掛けだから猛省して欲しいと思う。このようなレベルで書けるはずですよ。少なくともプロなんだから、別段、学者のような難しい言葉は使わなくても、本質的なモンダイまで降りたって問題点を摘出することが出来るはずです。わかっていて、単にやらないだけだと思いますね。互いにメディア論まで批評し合うところで侃々諤々すれば、自ずから、「中立」という名の何のメッセージを発信しない「だらしなさ」を脱して、それぞれのメディアがそれぞれの視点から色の違ったメッセージを、それこそ「自己責任」で発信できると思う。こういうときにこそ、自己責任っていう言葉を使うべきでしょう。同じような「カスケード」(集団行動)をメディアがやっちゃあいけない。あいつがああ言うなら、こっちはこう言おうというへそ曲がり的バランス感覚って、メディアにとって生命線でしょう。
参照:http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20071023