「他の処方箋は、ないです」って。

落層―野宿に生きる

落層―野宿に生きる

 前日のエントリーに触れたヨーロッパのホームレス事情ですが、編者森田洋司の『落層ー野宿に生きる』(日本経済新聞社)の座談会「野宿者とはだれか」の記事から引用します。ちなみにこの座談会に参加しているメンバーは岩田正美・木津川計・島和博・福原宏幸・水内俊雄・森田洋司・吉田薫です。

森田 フランスの野宿者には若い層が多いと聞いています。いま、日本の高卒者の無業者比率は2000年度で三割を超え、大卒・短大卒では四分の一を占めるに至っている。学校と企業が直結する社会ではなくなって、フリーターが増えている。
福田 フランスやドイツの平均失業率は10%、イギリスは4,5%です。ところが、若者だけで見ると25%にものぼっています。職にあぶれた若者の一部がホームレス化している。しかし、反対に中高年の路上生活者はほとんどいない。本人が路上で暮らすことを望まない限り、いないのです。
 その背景には日欧の労働慣行の違いがあります。解雇する時は若者からクビを切っていき、家族のいる者の雇用をなるべく保障している。解雇制限法もありますので、就業の入り口も狭くなっています。こうした状況は80年代から一貫して続いていますから、その時点で失業していた若者も、いまや30、40代になって仕事に就いていると考えられる。つまり、ヨーロッパ社会ではいずれ就労できるという希望が残されているのです。
 ホームレスはパリ、ロンドンなど大都市部に多く見かけますが、フランスは北部のリールやマルセイユなど南部の地方都市にも集中しています。いずれも外国労働者が多く、失業者も多い。しかし、多様な宿泊施設が整備されていて、そこに入って職業訓練を受け、それから仕事に就く仕組みができている。もちろん失業扶助の制度もあります。
木津川 日本の路上生活者が中高年で占められているのに対して、向こうは少ない
森田 日本は年を取るにつれて悲観的、絶望的になるのに対して、向こうは年を取るにつれて就労の見込みが出てくる。加齢に対する「文化の違い」ですね。

 このようにホームレスに関しては「若者中心のヨーロッパ型、中高年のアジア型」とコメントしているが、どうもにわかに信じがたいものが残る。まあ、データも古いのですが、傾向としては違和感が多少残るものの、こんなものだろうとは思う。ただ、日本の場合は65歳を超えれば、年金受給の対象にもなるし、生活保護の申請もスムーズに行く。問題は65歳までの中高年層だということになる。
 本日、leleleさんが、日テレの朝のニュースで辛坊さんが年金問題について解説していました。として、4つのデータを提示していましたね。

(1)「年収200万円以下、1千万人超える 民間給与統計」(2007年09月28日08時00分、asahi.com)に見られる所得格差のデータ。
(2)世代間の所得格差に関するもので、いかに若年世代の所得がが減っているのかを示すデータ。
(3)国民年金を受けとっている人たちの平均受給額が年間240万円前後であり、共済年金に加入していた人たちの受給額が、さらに2割増しであるというデータ。
(4)現在の国民年金の保険料についてのデータ。20歳以上60歳未満であれば、たとえ無職であっても保険料は一律で14,100円。この保険料は段階的に引き上げられ、2017年には16,900円前後になる予定。

辛坊さんは、公務員の夫婦が退職した場合の事例をあげていましたが、その場合の年金受給額は、ふたり合わせて600万円くらいあったりするわけですよ。そういう人たちを、年収180万円ちょっとの人たちが支えている。こうした「格差」はまずいと指摘したうえで、年金の財源を消費税にするなどして、低所得層の人たちからは年金をとらないような措置も考える必要がある、と辛坊さんはいっていました。

 辛坊さんのこの考えはそのとおりです。ぼくもこのブログで言い続けたことであります。だけど問題はleleleさんの言うように「ポイントは、若年世代と低所得層の人たちの政治参加へのモチベーションづくりなのかもしれませんが、幻滅しているものに希望を見いだせといっても、説得力がありません。」
 だけれども、処方箋は結局、若年世代と低所得層の人たちが、既得権益層より以上に政治に関心を持って政治参加するしかないでしょう。少なくとも1000万の票を持っているのだから。
 しかし、実際は、既得権益者の方が政治的関心が高い。民主主義という体制をこれからも取り続けるのなら、政治参加する人の意見が多数の方に政策が実施されるのは当然です。それに抗するには、1000万の票が死票にならないように政治的コミットをするしか処方箋はないでしょう。最終的には自分達で政治的に闘うしかないでしょう。身も蓋もないけれど、それ以外に処方箋があるだろうか、思い浮かばない。みんなばらばらで、他人事と思う心性から処方箋は生まれない。
 せめて、赤木智弘著『若者を見殺しにする国』が、この1000万人の人たちの多くが読んでくれればいいとは思いますが、もし、データがとれるものなら、(A)既得権益層(B)若年世代・低所得層と分けてどちらの層が、どんな割合で購入したか知りたいものです。まあ、データを取らなくとも予測はできますけれど、(B)層にいかに声が届くかということでしょう。
 データと言えば、今日、病院で前立腺特異抗原(PSA)の数値が1.220と上昇カーブになってしまった。ヤバイ。男性ホルモンを抑える薬が効かなくなったということす。正常なら性エネルギーが活発になったということで、よろこばなくてはいけないのに、癌細胞も成長するわけ。危険の上限値は4などで、ジタバタしないで、様子を見るしかない、担当医に他の処方箋はないのかと訊いたら、冷静に「ないです」って答えられてしまった。アガリクスは?」、「う〜ん」、「そう言えば、最近、あまりアガリクスの話はきかないね」、これも「カスケード」の一種かな、よくない噂があるもんね、クスリ?まで、「上げて落とす」かぁ。
 去勢な日々を送ることが延命に繋がるというわけです。悩ましい問題です。でも、郭清手術、放射線、ホルモン注射、薬と、5年以上延命したのだから、治療としては成功としてカウントされるのでしょう。しかし、この去勢な日々は、心も滅多に騒ぐこともなく、静謐で、平和な日々でしたね。そうそう、松浦理英子の『犬身』(けんしん)を読了しました。主人公の房恵が犬になってしまったのですが、何と、牝犬ではなく、牡犬で、去勢手術をしてしまう。理英子さんは、何故こんな仕掛をしてしまったのかと考えてしまった。牝犬であっても、別段、物語は破綻しなかったのに…。