自立と共生/義理と人情

未完のレーニン 〈力〉の思想を読む (講談社選書メチエ)日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)「隔離」という病い―近代日本の医療空間 (中公文庫)半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)
前々日のエントリーのコメント欄でせっかくお尻だよって書いたのですが、まだ伸びていました。それで、コメント避難所も兼ねて、こちらに新しいエントリーをアップします。
10月31日の毎日新聞(夕刊)に掲載されていた毎月恒例の「雑誌を読む」のメイン論者は武田徹氏で、【新しい論壇地図を描け】という目からウロコ的な記事を書いていますね。赤木さんについても言及している。まず、『「保守」バブルの終り』というところから始める。長文引用します。

[…]だが、論理バブルは崩壊しても「記号の政治」自体はなおも継続しかねないことに留意すべきだ。前政権からの軌道修正を印象づけるために福田政権では「保守主義的なシンボル操作と同時に社会民主的なシンボル操作が出てくる」と佐藤は予想していた。それは的中し「自立と共生」が政権のスローガンとなった。こうして左右のシンボルを併用して急場を凌がざるを得ない「弱さ」について佐藤はそれがガバナンスの不在を招き、「イタリア社会党左派からファシズムが出てきたように、非常にこわい政治になる危険性がある」との懸念を示す。
 もっとも遠くイタリアの例を引くまでもないかもしれない。井上論文は日本の1930年代の状況に着目する。一度は軍部の独走を押さえた当時の民政党内閣がその統治力を失ってゆく背景には国民自身が戦争を強く望んでいた事情がある。軍需拡大は労働者に高賃金をもたらし、男性の徴兵は女性に社会進出の機会を与えた。井上によればこうして「日中戦争は国内社会の平準化(社会的平等)をもたらす変革のチャンス」と認識され、階級差からの脱出を望む大衆は政党政治ではなく戦争に傾斜する大政翼賛体制を選んだ。つまりファシズムは30年代の日本でもイタリアと同じく民主的=デモクラティックに導かれたのだ。

 僕と同居の1918年生れの老母は殆ど現金収入のない母子家庭に生まれたが、村の姻戚、共同体に支えられ何とか高等小学校を卒業し、関西の「電電公社」に1930年代に電話交換手として就職したわけで、その当時のアルバム、話を聞くと、今よりは福利厚生が完備しているのではないかと思ってしまう。交代制であるけれど、時間の配分はきちっとしてサービス残業なんてありやしない。同じ村の出身者達と共同で下宿するのですが、職場も人間関係も同じ村の出身者達で班構成され、クラブ活動も活発で色々とお稽古事もやらせてくれる。まさにそこは「女の青春」だったとお袋は懐かしがっていましたね。給料もいいわけで、村にいる母親や弟に仕送りまで出来、家計を支えたと言っている。だから、1930年代の時代は母子家庭で育った女の子が社会に飛び込んでもちゃんと受け入れてくれる強固な社会的基盤が整備されていたことは間違いないと思う。いい時代だったわけです。お袋は今でも懐かしがっている。でもそれが、どうして戦争へと結びつくのか、お袋には理解出来ないでしょうね。

 その轍を日本は再び踏もうとはしていないか……。雇用の非正規化等によって利潤を社会に還元させる流れを断つことが「構造改革」の美名の下に賞揚されて来た日本では、グローバル経済礼賛者がしばしば口にする「豊かな者がより豊になれば、その恩恵は貧しいものに滴り落ちる」トリクル・ダウン効果は望めなかった。生産拠点が海外に移動した後に荒れ果てた地域社会のみが残され、格差問題は深刻となる。そして30年代と同じく弱者層は階層差の平準化へ焦がれて「希望は戦争」とすら口にし始めている。
 こうした格差化の状況に対して神野論文は「地域」の力を再評価して坑うべきだと主張する。「地域社会にはいつも人間の生活を支えるのに十分な資源が存在していた」「地域住民が地域社会の資源を利用するルールを決定することが出来れば、地域社会での生活ニーズは充足可能となる」
 こうしてトリクル・ダウンとは逆に「泉の如く下から上に生活の豊かさを湧き出でさせる」ファウンテン効果を地域に期待する神野に、先に引いた対談で(シンボル操作ではない)本当の「保守主義とは地の思想」だと述べていた佐藤との意外な響き合いを感じる。今、自分たちが生きている「地平」に直接根ざす姿勢を佐藤に倣って「保守」と呼ぶなら、神野の地域主義もそこに含まれるだろう。
 シンボルを弄ぶだけの「保守」は、政治からも、論壇からも安倍政権崩壊と共に一掃されて構わないと筆者は思う。しかし地に足を着けて暮し、たとえば格差社会の犠牲者となっている同胞がいれば救おうとする保守的気風は必要だろう。それこそが弱者層を徒にファシズムに走らせない結果に繫がる。ただ、こうした「地の思想」としての保守主義は佐藤も指摘するように即時的、情緒的で論理的ではない。だから時として自己愛、自ら住む地域、郷土への愛、そして同胞愛に駆り立てられる余りに他者、特に異国の人々のそれらを踏みにじる排他的ナショナリズムへとそれ自体が転化してゆく。それを防ぐためには、やはり教条的なシンボル操作ではない、きちんと他者を視野に入れた社会民主主義の「共生」の論理がその歯止めになる必要があるのだろう。

◆『「社民シンボル」の危険 歯止め付きの地域主義を』なんですが、恐らく僕の重心は「歯止め付きの地域主義」にあると思う。だからこそ、「関係性」について語りたがるし、多分、前々日の炎上寸前のコメント欄でのharutoさんの「仁義なき戦い」の「仁義なき」は白井聡の『未完のレーニン』のレーニン的「仁義なき」外部的介入だと思うのです。(まだ、読書中ですので、自信を持って言い切れない)だけど、僕は菅原文太にもレーニンにもなれないことはわかる。武田さんは、ノージック的な小さな政府を志向していると思うのです。僕自身は「リバタリアン」的なところがあることは否定しない。でも、やはり収まりが悪いわけです。武田さんは『「隔離」という病い』の終章で、「義理と人情」を持ち出す。「仁義なき」ではなく、「仁義」(義理と人情)にフックしようとしている。僕自身の「関係性」も「義理と人情」なんです。赤木さんは、そんな武田さんの影響を多少なりとも受けていると思う。だから、「仁義なき文太」にはなれないのではないかという、僕の甘い観測があります。まあ、僕自身はなれませんね。
 そうして、武田さんの結語は≪論壇はこうして保守主義社会民主主義が切実に向かい合う場となるべきではないか。その地図が新たに書き換えられる日を待ちたいと思う。≫です。切り口は少し違うが、赤木本キャンペーンブログで小林拓矢氏が“〜平和系左翼と労働系左翼〜 ”という地図を描いて問題点をフォーカスしているこの視点も面白い。「金より平和」と「平和よりまず金だよ」との構図にも還元出来る。でもこの対立構図は金持ち・小金持ちが「平和を唱えても」、あまり説得力がないということでしょう。「金がないにもかかわらず平和を唱える」ことは説得力を持ちえるのですが、難しい、せめて、金持ち・小金持ちが、「平和よりまず金だ」と誤解されるような言い方が必要かもしれない。勿論、この「金」は「労働問題」を最優先に考えるということで、オランダモデルのようなワークシェアリングで、自らの既得権益の再分配を平和問題より先に検討するということです。
 昨夜、ナンバ市民講座セミナーで生田武志さんが講師で喋ったのですが、本気で再分配のことを検証しないと、欧米並みに若者の野宿者が増えるだろうという予測です。大体20年遅れでやってきますからね。村上龍の近未来小説がそんなこの国の風景を描いていましたね。
 どちらにせよ、この国で「平和」というのは、既得権益者の権益維持でしかない、と赤木さんに言われてしまったことに、ちゃんと「平和系左翼」は応答すべきでしょう。
 武田さんの参照雑誌:◆真正保守勢力を結集し、福田政治に対峙せよ(中西輝政)=諸君!11月号◆対談 なぜ安倍政権はメルトダウンしたか(佐藤優山口二郎)=世界11月号◆二大政党は党利党略を超えよ(井上寿一)=中央公論11月号◆経済を民主主義の制御のもとへ(神野直彦)=世界11月号