「小さな政府」でお茶を

自由の平等―簡単で別な姿の世界

自由の平等―簡単で別な姿の世界

 先に、bk1の書評を紹介した塩津計さんが、僕のエントリーにコメントをくれました。
前ページに隠れてしまいますので、本日の本文のエントリーに引用コピペします。

どうも、塩津です。長いコメント、どうもです。何点か誤解をされているので、指摘させて頂きます。まず第一に、私は小さな政府主義者です。私は肥大しすぎた政府の所得再分配機能が日本の所得配分を歪め、国民の活力を奪い、経済を弱体化させていると思っています。最大の受益者は地方の過疎地に住む住民であり、最大の損失を蒙っているのは大都市の大企業に勤めるサラリーマンだと考えています。ですので、私は小さな政府に一旦もどし、国民の間の所得配分は市場原理に委ねて、ある部分まで「正常化」させてみてはどうかと考えています。もちろん市場は万能ではなく、また市場は時には失敗もします。ですが、今のような政治にアクセスできる圧力団体のみが税金を私できる制度は不公平だし間違っていると思っています。第二に、団塊の世代の追い出しを完了した日本の大企業は、逆にどこもかしこも急速なる人手不足に直面し、どこもかしこも大々的な中途採用を展開しています。ただ、中途採用は即戦力を意味するので高度の専門能力を身につけた人に限られるため、広く一般にまでその募集対象は広がっていません。中途採用市場というのは新卒採用市場とは決定的に異なります。ですので幾ら中途採用市場が拡大しても赤木君のような人は、むしろますますお呼びでなくなるような気がします。昔、片山カタズミというオートバイレーサーがいました。彼のもとには全国からオートバイレーサー志望の若者が殺到しました。しかし片山さんは彼に対し「どうやったら片山さんみたいなレーサーになれるのですか」というナイーブな質問をする若者には即座に「君のような人間は永遠にレーサーになれないので去れ」と突き放したのだそうです。彼いわく「自分含めモノになった人間は、人にナイーブな質問を発するまえに全知全能を傾けてどうやったらレーサーになれるかを模索し、その答えを自らの手でつかんでいる。そういうヤツでなければこの道では生きていけない」とのことでした。非常に印象的だったので今でも覚えています。なお、バブル世代について大した努力もしていないのに美味い汁をすってなどと書かれていますが、そういう人はどの時代、どの世界、どの社会にもいるものです。しかし、その幸運は長続きしません。生き残っている人は、やはり人知れず血の滲むような努力をしているものです。人間が作る社会である以上、公平などというものは結果ベースでは永遠に保証されないでしょう。むしろそれを所与として、如何にサバイバルするかといのが人生というものでしょう。その点で赤木君は、決定的に甘い。そう思います。

 僕の関心どころは、前日のエントリーのコメントにもちょいと書いたように立岩真也さんの『自由の平等』は、果たして実行可能性があるか否かです。
本書をじっくりと読んでみたい、それと、リチャード・ローティノージック。。。僕も小さな政府主義者です。

アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界

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