覇道/王道


「slideshow」
キャプションもコメントもいらない、まさに犯罪行為なのです。
国家は戦争という犯罪行為を行うことによって、自国民をも抑圧し殺す。
敵はそのような人殺し国家であって、国境を越えた人々ではない。
小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記:米国の将来
軍事力を背景に「ねずみ講」でもなんでもいい、より豊かにしてくれるなら、抑圧されても、心が殺されても、「悪の膿」は国家に仮託して、無責任で生きていきますよ、多分、竹内好のいう「ドレイ感情」に染まることでしか、生きられない人々が、どんどん増えていっていると言うことでもある。
国家以前に法があるんだという自然法を人々があたりまえのように「内在規範」として保持しないと、いつまで経っても紛争・戦争は絶えない。
でも、少なくとも、国家がそのような戦争をしている時は、敵は相手国であると同時に自国でもあるんだという認識は持って欲しい。だけど、渦中にあれば、誠実(無垢)であればあるほど、主戦論主義者たり得る。先日のNHKETV特で「吉本隆明」は戦争中、そのような軍国少年であったことを語り、戦後、5,6年、引きこもって「言葉の格闘」をしたと言っていたが、根源的な問題だと思う。そんな自己対話なしに、見過ぎ、世過ぎも可能だろう。
◆腹の底から自然法を信じないで、ご都合主義で国家によって制定された法律を遵法し、プリンシプルのない日和見で行動するのは「生きる力」として仕方がないかもしれない。ただ、天賦人権云々の善人面をして欲しくない。「悪人で文句あるか」と言った居直りをして欲しい。
「国家」以前の正義を信じない輩に限って「正義」を持ち出す。そのことが一番、腹立たしい。
それが、中島岳志の「竹内好の残したもの」で、盛んに言っていた「覇道」と「王道」ですよ。
アメリカもイスラエルも「覇道」の道をまっしぐらに行進していることは間違いない。
「王道」=自然法でしょう。宗教だって「王道」の道を進む。「王道」の道を進むものが宗教たり得るとも言える。もし、「無宗教たるもの」が王道の道を進むなら、それは限りなく「宗教的なもの」とも言える。
年末に中断している「竹内好の残したもの」のレポートの最後がまだアップされていないなぁ、近々アップします。
本気でイスラエルがかわいそうだと思うなら - モジモジ君のブログ。みたいな。