散歩のとき何か食べたくなって
地元の図書館でもらってきた池波正太郎著『散歩のとき何か食べたくなって』から、はてなの「食べログ」で紹介の食い物屋、飲み屋などがヒットするかどうか検索したみました。
まずは「京都・寺町通り」p82
- ジャンル:バー
- 住所: 京都市中京区寺町通三条下ル桜之町406
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- (写真提供:nyanko001)
- ジャンル:すき焼き
- 住所: 京都市中京区寺町通三条下ル桜之町405
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- (写真提供:taiki970)
- ジャンル:洋菓子(その他)
- 住所: 京都市中京区常盤木町62
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- (写真提供:サッチィ)
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この店構えのよさは、まったく、たまらない。立ちつくして見ていても飽きない。
つつましやかな、タイル張りの三階家は、大正から昭和初期の、落ちついていた町のたたずまいを偲ばせてくれる。ガラス張りのショー・ウィンドウの腰張りは大理石だ。
看板は[村上開新堂菓舗]と、たったこれだけである。
東京にしろ、京都にしろ、古い店は、店舗を仰々しく飾ることをしない。
で、その店のとなりに瓦屋根の二階家が、ひっそりと寄りそっている。
すなわち、開新堂の菓子製造工場なのだ。
私の好きな[好事福廬]という菓子も、この工場で丹念につくられる。
開新堂は、京都における洋菓子の草分けだといわれている。
[好事福廬]も、そうしたムードがただよっている清楚な洋菓子だ。
大きな紀州蜜柑の中身をくりぬいてゼリーにし、別に蜜柑の実をしぼったジュースへキュラソーをそそぎ、ゼラチンでやわらかく固めたものを、また蜜柑の皮へつめこみ、パラフィン紙で包み、蜜柑の葉の形のレッテルを紐で下げる。古風な、明治・大正のころを偲ばせるパッケージングは、いまも変わらぬ。
明治末年に、開新堂の初代の店主が考案したときのままなのだ。
[好事福廬]は、あらかじめ注文しておかなくてはならぬが、でも通りかかったとき、
「残っていますか?」
「尋いてみると、
「へえ、二つ三つ、残ってございます」
ということもあって、そんなときは大よろこびで、これを買って、冬のホテルの部屋の窓の外へ出して置く。
夜ふけて、ホテルへ帰り、酔いざめのかわいた喉へ、待っていてくれた[好事福廬]が冷んやりと入って行くときのうまさは、こたえらえない。
しかし、池波正太郎の名文で語られると、思わず「そそられてしまう」
この文庫本は昭和52年の平凡社より刊行されたものを原典としています。
巻末に店名索引があるけれど、いまだに存続している店が多いみたい。
残る店は残っているんですねぇ。ただ、地方は厳しいのではないか。