散歩のとき何か食べたくなって

散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)
地元の図書館でもらってきた池波正太郎著『散歩のとき何か食べたくなって』から、はてなの「食べログ」で紹介の食い物屋、飲み屋などがヒットするかどうか検索したみました。
まずは「京都・寺町通り」p82

京都サンボア

食べログ 京都サンボア

三嶋亭 本店

食べログ 三嶋亭 本店

村上開新堂

食べログ 村上開新堂

 この店構えのよさは、まったく、たまらない。立ちつくして見ていても飽きない。
 つつましやかな、タイル張りの三階家は、大正から昭和初期の、落ちついていた町のたたずまいを偲ばせてくれる。ガラス張りのショー・ウィンドウの腰張りは大理石だ。
 看板は[村上開新堂菓舗]と、たったこれだけである。
 東京にしろ、京都にしろ、古い店は、店舗を仰々しく飾ることをしない。
 で、その店のとなりに瓦屋根の二階家が、ひっそりと寄りそっている。
 すなわち、開新堂の菓子製造工場なのだ。
 私の好きな[好事福廬]という菓子も、この工場で丹念につくられる。
 開新堂は、京都における洋菓子の草分けだといわれている。
 [好事福廬]も、そうしたムードがただよっている清楚な洋菓子だ。
 大きな紀州蜜柑の中身をくりぬいてゼリーにし、別に蜜柑の実をしぼったジュースへキュラソーをそそぎ、ゼラチンでやわらかく固めたものを、また蜜柑の皮へつめこみ、パラフィン紙で包み、蜜柑の葉の形のレッテルを紐で下げる。古風な、明治・大正のころを偲ばせるパッケージングは、いまも変わらぬ。
 明治末年に、開新堂の初代の店主が考案したときのままなのだ。
 [好事福廬]は、あらかじめ注文しておかなくてはならぬが、でも通りかかったとき、
 「残っていますか?」 
 「尋いてみると、
 「へえ、二つ三つ、残ってございます」
 ということもあって、そんなときは大よろこびで、これを買って、冬のホテルの部屋の窓の外へ出して置く。
 夜ふけて、ホテルへ帰り、酔いざめのかわいた喉へ、待っていてくれた[好事福廬]が冷んやりと入って行くときのうまさは、こたえらえない。

 しかし、池波正太郎の名文で語られると、思わず「そそられてしまう」
 この文庫本は昭和52年の平凡社より刊行されたものを原典としています。
 巻末に店名索引があるけれど、いまだに存続している店が多いみたい。
 残る店は残っているんですねぇ。ただ、地方は厳しいのではないか。