関心を消去するような関心

茂木健一郎の「クオリア日記」を訪問したら、
けんもぎTV(kenmogitv) 第1回〜第16回配信中。
よせば良いのに何のことかと好奇心がムクムク。
前田塁の『紙の本が亡びるとき?』の
「九回裏、もしくは核の時計の前で」を読みながら、クリック!
さようなら、私の本よ! (講談社文庫)
紙の本が亡びるとき?

 […]言葉とともにある認識は、外在するなにものかを表象=代行する手段である(と主観的には認識されている)と同時に、私(たち)自身でもある。言葉そのものは、「この私」ではない。しかし、「この私」から発せられるあらゆる言語は「この私(の宇宙)」とともにしか成立も確定もできない以上、運動としての「言葉」とは、他者との通約不可能性もふくめ、それを発する「私」自身のことである。だとして対話はあるいは「語ること」は、たえざる危険を孕むだろう。私(たち)が何かを語ること、なにかを「理解する」ことは、決して同じではありえずその確認もできない(確認できないからこそ、ときにそれが合致したという錯覚も生まれる)他者の「理解」や「言葉(認識)」と、摩擦を引き起こさずにはいない。
 誰かと対話を行おうとしたとしたとする。関係が良好であるとき私(たち)は、他者の発話に対し、その建設的な側面、非ー攻撃性を前提にじて、それを理解しようとする。前節の言葉で言えば、「多様な試行錯誤的方法で適応」しようとするわけだ。しかし関係が良好でないとき、すなわち敵意や悪意にもとづいて読解と発話が行われるとき、そこでの対話は銃や核兵器と質的には変わらぬ破壊衝動を持つだろう。いったいそれは、どのように回避できるだろうか?(p245)

僕のPCは2000日も酷使しているためか、
いまだにwindowsXPのためか、ウィルス注射の効果なのか、
とにかく重くて遅い。
せっかく、どんなものか視聴しようとした「けんもぎTV」。
砂時計が延々と稼働中で、なかなか↓の動画にたどりつけない。
30分以上はかかったでしょうか。いや、もっとか、イライラ。
やっと視聴できたら、どどっと疲れてしまった。
もう一回、最初からクリックするのは大変なので、
埋め込みをコピーしてペースト。
関心のある方はプレーボタンを押して下さい。
多分、「関心を消去するような関心」で再生すれば、そのモタモタ感も楽しめるとは思います。