高円寺/普通の暮らし

本の雑誌 330号

本の雑誌 330号

本の雑誌の12月号は特集が荻原魚雷の「活字で自活!」なんですねぇ。
坪内祐三との対談もあって、魚雷さんのコラムを「現代の山口瞳」とコメントしているが、確かに僕は『活字と自活』を読んでオモロイ!と思いましたよ、
新聞、週刊誌でコラム連載してもらいたい。
その(2)で古書現世二代目向井透史と対談。高円寺デビューについて語っている。

向 ところで、魚雷さんは中央線のスタートはどこですか。
萩 高円寺です。というか高円寺だけ。北口も南口も商店街を点々と。
向 高円寺を抜け出ようと思ったことは一回もない?
萩 うん、上京したときは、古本屋やレコード屋がある街を探して、高円寺か吉祥寺で迷ったんですよ。田舎から上京していろんなものに飢えてるから吉祥寺もいいなあとか。それで両方の不動産屋を回っていたら、高円寺で都丸書店を見つけたんですよね。今は人文系の支店に行くことが多いけど、当時は社会科学系の本店で、ずっと探していたアナキズムの本がわーっとあって、しかも良い本なのにそんなに高くない。それを見た瞬間にもう……その後、喫茶店で買ったばかりの本を読んでいたらマスターがアナーキストで「君はそういう本が好きなのかい?」って話しかけてきて(笑)、古書展の予定表みたいなのをくれたんです。それで古書展の存在も知って。
向 すごいですね。なんだか、わらしべ長者みたい(笑)。
萩 そのとき買ったのが奥崎謙三の『ヤマザキ天皇を撃て!』。結構探していたので、喜んで読んでいたら、マスターがにこにこ話しかけてきた(笑)。すごくよくしてくれて、裏メニューじゃないけど、スパゲティとか出してくれて、どんなに長居してもいいよと。
向 スパゲティが裏メニュー(笑)。それが決め手になった?
萩 たまたま候補にしていた高円寺のアパートがその喫茶店のそばだったから(笑)。それで住みはじめたら、夜中の一時過ぎに突然人が訪ねてきたんですよ。前に住んでた人らしくて、「もう誰か住んでいるのか」って酔っぱらって(笑)。某出版社で漫画雑誌を作ってる編集長で、「前に一緒にここに住んでたやつが今飲み屋やってるんだよ」って、真夜中に連れていかれた先で舞踏やってる人を紹介されて「俺たちの部屋に新しく入った若者だ」って(笑)。なんだかすごい世界に来てしまったと。
向 作り話のような中央線の話ですね(笑)。ついていく魚雷さんもすごいけど。
萩 楽しいなあと思った(笑)。(p26~7)

偶々、こちらは新刊ではないけれど、雨宮処凛×萱野稔人の『「生きづらさ」について』を同時に読んでいたら、お二人は多く赤木智弘氏について補助線言及しているのですが、高円寺の「素人の乱」についてのやりとりは確かにそういうもんだろうなぁとナットクできるところがありました。

萱野 雨宮さんは、『月刊オルタ』(発行:アジア太平洋資料センター)という雑誌のなかで赤木さんと対談されていますよね、そのときの赤木さんの発言で、おもしろいと思ったことがあるんです。先ほど話題になった、赤木論文への応答文が掲載された『論座』の同じ号(2007年4月号)に、「素人の乱」の運動が紹介されているんですが、赤木さんは、それが自分に対する一番の批判だと思ったといっているんです。
 もちろん、素人の乱は「希望は戦争」への批判として紹介されていたわけではありません。にもかかわらず、「希望は戦争」に直接応答してきた文章よりも、その運動のほうがよっぽど自分への批判になっていると赤木さんはいう。
 素人の乱というのは、いわゆるまともな仕事に就いていなかったりして、なかなか社会的承認を得られるような立場にない若者たちが、カフェをやったり、リサイクル・ショップをしたり、ラジオをやったりしながら、自分たちの存在空間を創造している集団です。そうした彼らの活動が、同じような社会的立場にありながら「希望は戦争」といっている自分への最大の批判なのではないか、と赤木さんは考える。
 おそらくここに問題の核心があるんじゃないでしょうか。不安定な生活にさらされた若者たちが、みずからの生存を支え、かつ存在を肯定できるような空間を自分たちの手でつくりだしていくような実践に、「希望は戦争」とは違う希望のかたちがあるんじゃないか、と。
雨宮 赤木さんは、素人の乱が自分に対する一番の批判だといっていたのは、私も直接聞いていて、すごく象徴的だと思いました、ただ、赤木さんは、もし素人の乱が自分の家のまわりにきても、入っていけないという。それはよくわかります。あと赤木さんは、普通に結婚して子供をつくって、仕事をつうじて社会とかかわっていきたい、普通に生きたいっていっています。
萱野 素人の乱は普通じゃないですからね。昔のだめ連もそうでしたけど。
雨宮 普通の人生を捨てなきゃ、なかなか素人の乱には入れないですよね(笑)。
 素人の乱のような生き方はすごく大きな希望ではあるんですが、赤木さんは普通にコンビニの仕事でいいっていっていますから。コンビニの仕事も必要な仕事だし、誰かがやらなくちゃいけない。ただ、いまのように、差別やバッシングを受け、年収100万円台の低賃金で結婚もできないようなコンビニ夜勤ではなく、年収が300万円くらいあって結婚もできるなら、一生コンビニ夜勤でもいいといっています。そういう「普通に生きたい」という気持ちはぜったいに尊重されるべきだと思いますが、実はそれが一番難しい。そこにこそフリーターの労働運動の課題もあるわけですからね。(p169~70)

普通の暮らしってなんだろう?ナンバーワンでもなく、オンリーワンでもなく、取り替え可能でありそうで、でも取り替え不可能性を内包する不可視の他者を胚胎する生身の人々が通底する「普通の人々」としか言いようがないそれぞれの「実存」が普通の暮らしだと思う。

「生きづらさ」について (光文社新書)

「生きづらさ」について (光文社新書)

てるてるさんのコメントを本文にあげました。

先日、「相棒」というドラマで、正社員採用を機に結婚しようとしていたのに、業績悪化で採用を取り消され、恋人ともわかれ、その後、再就職がうまくいかず、ついに死んでしまった男性が登場し、視聴者に大きな反響を呼んだのです。2ちゃんねるのテレビドラマ板の「相棒」スレッドで、たいへんな数のレスがありました。多くの人が、明日は我が身、という反応をしていました。私のブログでも取り上げました。bk1に投稿した、宇江佐真理の時代小説のレビューでも、言及してしまいました。
http://blogs.yahoo.co.jp/saihikarunogo/32136810.html
https://www.bk1.jp/webap/user/DispatchLoginUser.do

蟻族―高学歴ワーキングプアたちの群れ

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