再帰性

追記:5月28日 周防大島での講演会 小出裕章 | 小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ
典型的な日本型システムの問題点: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
「フクシマ50のヒーロー」を誰が守るのか@宮本光晴: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
こちらの記事を読んでいたら、再読している樫村愛子の『ネオリベラリズム精神分析』から第二章「再帰性のもつ問題」・[社会(制度)の再帰性の暴走]p69を引用したくなった。ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)

再帰性の論者たちは、反省的、内省的という意味での「主体の再帰性」と、社会や制度が主体のコントロールを離れる形で知らないままに自己組織的に変容していくような「社会(制度)の再帰性」を分けて論じている。
ギデンズと並んで、「再帰性」を議論の核としている独社会学者ベックは、「自己再帰性」を「省察(リフレクション)」、「制度的再帰性」を「再帰性(リフレクシヴィティ)として分けて論じている。
そして、制度的再帰性がコントロールを超えた変化を遂げていく点に、彼の議論の核である「リスク社会(グローバル化により、鳥インフルエンザや温暖化のようなコントロール不能な地球レベルのリスクが生じる社会)」を見ている。
あとで見るが、「マクドナルド化(形式的にのみ合理性を追求するあまり実質的に非合理になること)」と呼ばれる現象は、形式的合理性が実質的合理性を人々のコントロールを離れる形で侵食していく、「制度的再帰性」の暴走の一例である。
例えば、アメリカで一時進められた看護労働のすさまじい形式的合理化、すなわち、作業を見直し、切り詰めて効率化する作業は、実質的にそれまでの看護が果たしてきた目に見えない機能を切り捨ててしまった。
社会学者のウェーバーが指摘した「官僚制の機能不全(セクションの分化による効率性を目指したのに、逆に、官公庁のセクショナリズムのような弊害が起こること)や、ハバーマスが指摘した「システム世界による生活世界の植民地化」による機能不全(生活がシステム化されて便利になることで人と人の関係が失われていく例に見られる現象)などの近代の病理は、社会的再帰性の暴走によるものである。

小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記:僕が売国奴になった理由 民事国家再生法