自然エネルギーと「共同体自治」

蒸し暑く、モール街のスタバで久しぶりに珈琲プラペチーノで一服。宮台真司×飯田哲也共著『原発社会からの離脱』を読了。
最終の7章ーすでにはじまっている「実践」にこんなやりとりがありました。

宮台 「自立運転モードの配線をしていなかったので、震災後に配線しました」という人もいました。みんな大規模の停電を想定していなかったからです。いま設置した人は停電を前提に配線するでしょう。
 ことほどさように、日本人がこれまで経験していない生活と政治を選択しなくてはいけないわけです。何事も、ダメだったら「どうしてダメだったのか」をよく分かっていないといけない。理由が分かれば、後に続く子々孫々がそれを学ぶことができる。そのためには、飯田さんが経産大臣か環境大臣になる政権へと、10年以内にならないとダメでしょう。
飯田 河野太郎さんが首相にならないと指名されませんね。(笑)。いま与野党を見渡しても、河野太郎さんぐらいしか海外で通用する議論ができるひとはいません。大きな話とディテールの話を両方できるひとが本当にいない。河野さんはそれができるし、大胆に振る舞える。(後略)p186

http://www.taro.org/2011/06/post-1035.php