大飯原発1号機停止へ

手動停止って、よほどのことじゃあない?
2007年に町内会から社会見学した原発です。

安全な被曝量は存在しない!って、ホント?
栗山光司
2011/07/12 11:17:47原発のウソ (扶桑社新書)
 本書を読むと目からウロコ状態になって僕自身の無知であったことを次から次へと気づくきっかけになりました。文章は平易でわかりやすい。それだけでなく、小出さんが何故、原子核工学を専攻しながら、反原発運動にシフトしていったのかと言う動機、履歴が素直に語られ一人の人間の生き方として好感を持ってしまう編集構成です。
 無駄のない章立てで興味のあるところから読んでもいいと思う。
 第一章(福島第一原発はこれからどうなるのか)第二章(「放射能」とはどういうものか)第三章(放射線汚染から身を守るには)第四章(原発の常識は非常識)第五章(原子力は未来のエネルギー」か)第六章(地震列島・日本に原発を建ててはいけない)第七章(原子力に未来はない)
 3・11まで小出裕章という人を知らなかった。それ以降ネットで小出さんを知ると、その語り口の「理屈」と「情」の見事なバランス、佇まいに惹かれてしまった。それに比して推進派と言われる人たちの胡散臭さが露呈されて僕自身どちらの派と言明するだけの初歩的な知見を持っているわけではないのに、小出さんは信頼出来るよなぁ、と次第に小出さんの視点を通して原発について考えるようになりました。これも洗脳かなぁ(笑)。
 反対、推進、中間のポジショントーク以前に小出裕章という漢がクールでチャーミングです。そんな背景があるから小出さんの言葉がどんどん浸潤してしまう。でも、積極的に原発推進を画策する政治家であれ学者、言論人でカリスマ性を持った人はいないねぇ。
 バイパスで『「反核」異論』を書いた吉本隆明が『思想としての3・11』で「これから人類は危ない橋をとぼとぼ渡っていくことになる」とつぶやいているが、推進派の連中は鬱状況なのでしょうか、それにしても「脱・原発」になかなか結集しない。理屈、合理性でない「空気の流れ」で動いてしまう国民性について嘆いてしまった言論人がいたが相変わらずの「依存症候」なのか?
 2007年、町内会の社会見学で、関西電力大飯原子力発電所の見学に行って来ましたが、 
 ■僕が興味を持ったことは一体、火災保険、地震保険はどうなっているのか?
 もし、保険契約を結ぶとしたら、原子力発電所はどのような査定になるのか?
 そんなことを質問したのですが、僕の質問もよくないのか、ナットクのゆく答えがなかったです。
 本書によると、
原子力損害賠償法が最初に設定した賠償措置額は50億円。「それ以上の被害が出たら国が国会の議決を経て援助を行う」と定めています。この法律はほぼ10年ごとに見直されており、2009年にも改定されて賠償措置額は1200億円になりました。/1200億円というと私たちからすれば想像もつかない大金ですが、電力会社は「どうせ保険だし、それで済むなら原子力発電をやってみるか」と思ったのでしょう。ただし「それ以上の賠償金は国で支払ってくれ」ということにして、今日までやってきたのです。逆に言えば、もし全ての被害を電力会社が賠償する制度だったら、原子力発電をやろうとはしなかったはずです。p106≫
 かような合理的なアンサーをしてくれれば是非はともかく納得できます。僕らの見学者に対して「安全神話」の洗脳一本やりでしたねぇ。
 「もしも事故が起きたらこういう事故処理、手当があります」なんての話はありませんでした。だからいじわる質問したわけです。広報のやり方としても古臭い、制御社会(コミュニケーション社会)に対応した広報をしなくては、前近代的な管理社会に対応した広報ですよ。
 意図的に隙を見せて(原発のデメリットを開示して)、制御(コミュニケーション)の渦を巻き起こす。そうやって侃々諤々の論争を巻き起こしより良い着地点を見出す。そんな大人の対応が欲しい。
 小出さんは反原発の論者だけど大人ですよ。それに比して「現場で働く人たち」にはリスペクトするけれど、推進を広報する人たちの「やらせメール」と言いあまりにも餓鬼の振る舞いが多い。
本の通販ストア - 本、雑誌の通販ならhontoより