鶴見俊輔/瀬戸内寂聴/ドナルドーキーン/タヌキ囃子で又、鼎談

同時代を生きてたぬきのちょうちん (大人になっても忘れたくない名作絵本)
『戦争が遺したもの』を先に読んだのですが、発行順から言えば、『同時代を生きて』(岩波書店)が先です。両書とも鼎談集であるが、編集の妙から言えば、『戦争が遺したもの』の方に軍配を上げたい。新曜社の企画力もさることながら、小熊英二の編集力の賜物であろう。
最近、リアル書店の陳列の仕方が気になり、今日(注:4/5)も京都の大型老舗書店を覗いて人文コーナーに『戦争が遺したもの』が平積されて納得したのですが、『同時代を生きて』が見当たらない。当然、前者が話題になっており、関連商品として平積、メンチン、棚差されていると思っていたのです。疑問解消にと別の階の文芸コーナーに降りると、案の定、平積されていた。でも、こちらには『戦争が遺したもの』がない。販促の相乗効果が、これでは切れてしまうのではないかと、危惧しました。書店の棚陳列は雑誌の編集と良く似たものではないかと言う思い込みがあるのですが、日々の新刊点数の多さと、商品管理のし易さで、標準化、マニュアル化が要請されるのでしょう。ぼくが書店員だった頃は牧歌的であったのであろう。 
しょっちゅう、棚を触って、本をあちらこちらと、移動しました。自分の本棚でもそうですが、Aという本の両隣に思いも寄らぬB、Cを陳列すると、AもBもCも違った本に見えてくる。図書館などはかようなパーフォーマンスは許されないが、リアル書店では許されるのです。その極端な例は『ヴィレッジ・ヴァンガード』でしょう。この本屋はジャンルを越境するどころか、本そのものを越境して、ホビー小物どころか、自転車なり洋服…と、ジャンプする。そのサブカルな身軽さは、両作品とも出演の鶴見俊輔さんにも通底するかも知れない。『ヴィレッジ・ヴァンガード』は出版業界が不況の最中、順調に売上げを伸ばしている。鶴見さんは本書でこんなことを言っている。

いまの出版社はだいたい、素直にいって、ゴシップの運び屋だ。誰がガンになったかということは編集者をとおして耳に入るけど、目利きは少ないね。−そうして、目利きはー<池辺三山、滝田樗陰、林達夫花田清輝だと思いますね。司馬遷は、早くからその事情を知っているのです。どの時代にも千里の馬は多いけれど伯楽がいない。司馬遷はそういう眼力があるのですよ。

まあ、この話題は本書の本筋を離れたものですが、『戦争を遺したもの』を読んで、「これはオモロイ!」と感じ入った人は是非とも、本書を読んでもらいたい。新しい発見があります。まあ、鶴見さんが、本書でも同じようなことを喋っている部分がありますが…。そんなに両書は引き付け合っているので、リアル書店で隣り合わせに平積して欲しいと思ったのでした。(旧ブログより転載)