巻き助さんの写真館

巻き助さんのブログの写真が大好きで、時々覗いて癒されるのですが、これは明障子にステンドグラスをはめたものかな、とても色の配合がよくて、とてもいい、これって、巻き助さんちの新居の明障子なのかな、最初見たとき、小物のインテリアか、それとも小卓かなと思ったのですが、明障子ですよね…。パレットのような感触がありますね。何だろう、紹介の本(やまだないと)の装丁って感じもします。

見渡せば本の洪水 (未読百冊?)

ちくまプリマー新書は新書の棚、平台でも目立ちますね、装丁はクラフト・エヴィング商会なのですが、さわやかな肌触りが伝わるとてもお洒落な表紙です。やっぱしクラフト・エヴィングだなとナットクです。この軽やかさが大好きです。創刊では[69]内田樹の『先生はえらい』を購入したのですが、色々なブロガーの方が絶賛のコメントをつけていますし、僕の友人達も「よかった」という話をしてくれるので、何か、もう読んだ気になっており、よく考えたら未読なのです。
図書館などで借りる本はプレッシャーがかかって最優先で読んでしますのですが、購入本は積読になって未読になる確率が高い。反省。ざ〜と、棚を見渡すと、同じちくまプリマで[70]玄侑宗久の『死んだらどうなるの?』、他の版元では、[71]養老孟司との共著『脳と魂』[72]大澤真幸の『現実の向こう』[73]酒井隆史の『自由論』[74]リービ英雄の『英語でよむ万葉集』、そして、なんと[75]保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』も未読でした。別に小説を書きあぐねているオヤジではないので、緊急に読む必要もない。まだ、探せばいくらでもあるでしょう。図書館で借りられる本は12冊なので、常にそれを読みきることで精一杯です。それで、最近、本購入にあたっての原則は読んで再読、再々読してくなる本、線を引きたくなる本という縛りをいれているのですが、それでも、つい、買ってしまう。
結構、ブックオフなどの百円コーナーはお得感があるので手に取ってしまう。最近も欲しかった[76]多木浩二の『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」』が美本で百円棚にありました。いちど、新中古書店の「古本市場」が「ブ」に対抗して文庫全点例外なく「95円コーナー」をかってやりましたが、そのときも、ついつい、購入してしまいました。
狭いうさぎ小屋ですので、本を並べるスペースがあまりないのです。同居の老母の心臓によくない。だから、出来るだけ入り口と出口のバランスをとるために、読み終わった本、もう読まないであろう本、それから図書館が蔵書としてもらってくれそうな本を寄贈して、読みたくなったら借りる。
先日も行きつけの図書館に本を寄贈したのですが、蔵書として保管するためには、カードを作成したり、フィルムを貼ったり、色々と手間隙がかかります。結構、ありがた迷惑なところがあるのです。そんなこんなで、ここの図書館では司書の判断で、リサイクル棚を設けて、蔵書にしない本、整理して本を並べて来館者に持って行ってもらっているサービスをやっています。
僕は先日、神谷美恵子の著作集(みすず書房)の端本を持っていったのですが、[78]五巻の『旅の手帖より』が残っていたので、『のだめ カンタービレ 12巻』がバッハで終わっているのですが、そのノリでページを開くと神谷さん、バッハについて書き始めている。めくっているうちに読みたくなって、もらって帰りました。でも、僕がもって行った本なんですよね、何かややこしいことをやっていますね、このオヤジは…。
それはそうと、橋本治の『勉強ができなくても恥ずかしくない 2』でした。[79]一巻と[80]三巻は読んでいませんが、30分あれば読めます。大体一頁当たり500字で、本文は百頁、大きな活字ですので、年寄りにとって目に優しい。でも本書はこどもたちに読んでもらいたいのでしょうね。三冊で三部作完結ですが、一冊本として合本でも支障がないですが、今までの常識ではそうなったでしょうね、それが、短時間で読めて、つづきの表示、小憎らしい販促ですね、内容が余りにも面白いので、大人が読んでみて子供たちに贈呈したくなる。
先輩のちくま新書と違った販売戦略ですね、それにしても橋本治集英社新書の[81]『上司は思いつきでものを言う』ちくまの『人はなぜ「美しい」がわかるのか』など、新書バージョンでは相性がいいのでしょう。新書版橋本治がやたら目立ちますね。とくにこのプリマ新書は橋本ワールドにぴったりの器っていう気がする。僕の好きな内田樹もそうですね。
昔、カッパブックスが週刊、月間のベストセラーズを独占していた頃、カッパ大将の神吉晴夫は『カッパ兵法』(華書房)を書いていますが、サイン本が棚にありました。昭和42年・7・19の日付のある自筆です。この本は今読んでも面白い、プリマー新書は書き下ろしだけでなく、かような旧作を発掘して発刊するのもいいのではないか、別段、そういう復刊は文庫で提供という先入観にとらわれる必要はないと思う。まあ、光文社新書がありますから、光文社が提供するのが、一応の筋ではありますが…。