したたかと言われて久し栗をむく(中曽根康弘)

 赤木コミュから、時には腹立たしく、時には考えさせられるリンクページが紹介されますが、そのうちの二つを公開します。
◆一個1500円のマグカップでコーヒー飲みながら護憲って いうわけです。
僕は学生時代の一時期、「茶道」をやっていたわけで、どうせなら、「九条護憲茶会」をやればいい。千利休時代は茶室でロビー活動を行っていたわけで、まあ、中曽根さんも茶室外交をやっていたか、「奥多摩の日の出山荘(記:御厨貴)」ですよね。僕の好きな山荘は丹下左膳大河内伝次郎が私財を注ぎこんで作庭した京都嵐山にある大河内山荘です。今の季節では紅葉に映えて庭が光っているだろうな、近々行ってみたい。
何故、護憲が「マグカップ」になるのか、「茶碗」にならないのか。そんなことを考えてしまった。
田中優子「何を持つのか、何を持たないのか」では、「戦争/自尊心/革命」がキーワードでしょう。一方が戦争に行き、他方が革命に行く分水嶺はなんなのか、「自尊心」、「アイデンティティ」は魔物です。そんな「自尊心」や「アイデンティティ」をアイロニカルにメタ化して、それでも「リアルな生」を生き得るとしたら、どんな「生」があり得るのか、予測不可能で、説明不可能でしょう。どこか、深いところで、実感という儚げな棒を大地らしきものに突き立てて歩くしかないのでしょう。