そして、もう一つの70年代から、「自分自身を見殺しにする国」へ

 70年代と言えば、松岡正剛の『遊』の創刊号は買いましたね。『薔薇族』は買わなかったけれどw、予想に反して完売しました。 通常の出版流通で取次配本だったことの意味を改めて確認しました。確かに「『千夜千冊・1208夜』 伊藤文学」で言っているように、「遊」も「薔薇族」も雑誌コードをもっていたのです。それまで風俗マガジンの大半は「奇譚クラブ」も「風俗奇譚」も雑誌コードがないために、一般書店売りができなかったのです。そのような視点からの出版流通史の仕事があってもいいですね。
 「遊」も「薔薇族」も刷り部数が一万部で、実売が「遊」は六〇〇〇部、「薔薇族」は完売だと言う。三〇年以上も大昔のことですが、僕の書店現場での感触でもそんなもんでしょう。『遊』はず〜と、杉浦康平さんの表紙で一万部刷ったのでしょう。その後の実売はわからないが、例えば今度、最新号が出たばかりの『風の旅人・29号』も一万部でしょう。こちらは、雑誌のようであるけれど、書籍扱いですね。実売は企業秘密でわからないけれど、今、現在、実売一万部以上の雑誌はどの程度あるのでしょうか。
 しかし、一万でも前エントリーで紹介した保坂和志の「掲示保板・No.3168」針小棒大の……、

「誰かによって書かれた歴史」というのは、すべて針小棒大なわけです。あるいは、部分で全体を語ってしまう、というか。たとえば、60年代〜70年代はフリージャズの時代だった、といっても、フリージャズのレコードなんて1万枚売れたものなんかほとんどないわけで、大学生の中でもごく一部しか本当はフリージャズを聴いていないわけです。だから、「歴史」に対する関心というのはいつも警戒が必要だと思う。「歴史」を語るふりをして、別のことを語ってしまっている場合がほとんどですから。

 を針小棒大すれば、一万部は正史として記述しかねない大きな数字とも言える。少なくとも、70年代の雑誌を語る場合、『遊』、『薔薇族』は外せないでしょう。それどころか、単なる雑誌史を超えて様々な影響を与えたことは否めない。
 今週の週刊朝日(12月7日号)で高橋源一郎赤木智弘の『若者を見殺しにする国』、『「肉体」の切実さに基づく「フリーターの論理」』(p110)で、18歳から31歳まで、過酷な肉体労働者として働いていた(まさに70年代でしょう)高橋は、赤木論文(「『丸山真男』をひっぱたきたいーー三十一歳、フリーター。希望は、戦争」)を大学の授業でテキストとして使ったとのこと。学生達の感想で、激しい嫌悪感を伴う拒否が六割、ある程度理解は出来るが論旨が肯定出来ないが三割で、残りの一割はバラバラ、その中のひとりが「ぼくは怖かった。なにも考えられなかった。ただ怖かった。」と書いていたと言う。

 赤木さんのこの論文に対して、様々な「正しい批判」が寄せられた。
 だが、どんな「正しい批判」も、赤木さんの論文を打ち倒すことはできなかった。それは、なぜだろう。
 赤木さんの論文を嫌悪した学生たちは、共通して、アルバイトから帰宅して酒を飲みネットサーフィンをしテレビを見る、という繰り返しが続く赤木さんの生活に反応した。そして、彼らは一様に「努力していない」とか「頑張ればいいのに」とか「資格をとる勉強をするべきだ」とか言うのである。

 高橋は自身の経験に基づき「過酷な労働の後には酒を飲む他気力は残らないものなんだよ」と学生達に言うべきなんだろうかと、自問する。

 赤木さんの論文は論理の「正しさ」ではなく、赤木さんの「肉体」の切実さに基づいている。だから、まだ、己の「肉体」を得ていないいる学生たちには理解できない。
 いや「恐ろしい」と書いた学生がいた。彼は、そこに、理解できないものがあることがわかったのだ。そして、おそらくは、いつか自分の「肉体」もまた、そのようなものに直面せざるをえないのではないかと。 

 かような「肉体」の切実さに基づくタイトな時代が「不幸せの共有」と言った人為的なものではなくて、非正規、正規を問わずこの国に押し寄せる予感がする。単に「若者を見殺しにする」、「老人を見殺しにする」ではなく、どこかで、「自分自身を見殺しにしないと生きられない国」になってゆく予感。ひとりの学生が言った「怖かった」を僕はそのように受信しました。
 かって高橋自身が戦ったのは、そんな「自分自身を見殺しにしないと生きられない国」ではなく、「自分自身を見殺しにしなくとも生きられる国」ではなかったか?そのような希望を信じられる一歩でないと、生き辛さは加速する。
 ◆マイミクさんから知った情報:http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20071201-OHT1T00146.htm

60年代が終わって、


 何故、陽水の『傘がない』を動画アップしたのか。web草思の「世界はこんなふうにも眺められる」から、保坂和志の19回・「70年代の2人の小説家」で、野坂昭如筒井康隆について書いているのですが、その延長戦沿いで、保坂さんが、掲示保板で、興味未あるやりとりをしている。そこで、ミーイズミの幕開けは井上陽水の『傘がない』で、「1人で1ジャンル」の80年代最後の人は「橋本治」だと言う。それで、何となく「傘がない」を聴きたくなったわけ。
 60年代が終わって、というよりその分水嶺に「傘がない」があって、ミーイズムが浸透する。そして80年代のブルーハーツへとつながり、他方、世界でない「セカイ系」へと飛翔して、95年のオウムの不幸な着地をしてしまう。そして、2001年の同時多発テロ事件は21世紀の幕開けを象徴するようなもので、いまだにそれが、右往左往と続いており、ただ、何となく予測出来ることは、最早、アメリカの時代は終焉だろうなぁと言うことではないでしょうか。でも、かような見取りは「針小棒大」による僕の床屋政談的歴史観で眉に唾した方がいい。
 保坂さんが掲示保板で語っている。《だから、「歴史」に対する関心というのはいつも警戒が必要だと思う。「歴史」を語るふりをして、別のことを語ってしまっている場合がほとんどですから。》は、耳が痛いデス。