世にも奇妙なリクルート

都築響一の『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃ ならないんだ』(晶文社)には、気になる本が目白押しで、買いたくなるので、困ってしまう本ですが、殆どは映画で言えばB級。でも、著者の熱い語りは強烈。

 この季節になると、着慣れないリクルート・ファッションに身を固めて窮屈そうな若者たちが街にあふれだす。いや、若者のからだを持った、オヤジオバン予備軍だ。そういうこころの若年寄たちの顔面に突きつけてやりたいのがこの本。題名とおり、こんな仕事あったのか!と絶句するような「天職」について幸せなアメリカ人たちが、65人も集められている。

正編の画像の表紙は腋臭のにおい鑑定人なんでしょう。評判が良くて増感号が出たのか。
本書に日本の『裏仕事師の本 パート4』が紹介されていましたが、アマゾンデータは前の号しかないですね。
過去三作では60人の仕事師、最新号では20人です。若手ライター、編集者達の突撃インタビューの臨場感溢れる取材プロセスも読ませるらしい。だって、当たり屋、にせ托鉢、選挙屋、雑誌拾い屋、名簿屋、宗教法人設立コンサルタント、競馬の予想屋、借金取立て屋、貢がせ屋、贋作師、ゴーストライター、ハ虫類密輸業者、いじめ解決屋、パチンコ開店プロ、示談屋、最も古い職業でもある街娼、ダフ屋などに取材するライターも大変です。でも、ちゃんと仕事師の中にブラックジャーナリストもカウントされている。

若者(論)が消費される。

赤木ブログで、鮭缶さんがエントリー更新しているが、希望は、(1)戦争、(2)クーデター、(3)政府転覆の三択を並べれば、赤木さんの「希望は、戦争」は無敵モードだとポイントをついたことを書いている。
昨日、後藤和智さんが、寄稿した『季刊・現代の理論』の新春号をこちらの図書館で蔵書していたので読みました。この雑誌を図書館で置いているところは少ない。
そこで、後藤さんは「さらば宮台真司」というタイトルで宮台さんを批評しているわけです。僕なりの読解では俗流若者論と「脱社会化」とをデータに基づかない「ニセ科学的」なモードで結びつけて、しゃべくりをやっているに過ぎないのではないのかと石投げをしているわけですよ。
成る程とナットクできるところがありましたね。「脱社会的存在」、「反社会的存在」は別段、若者の専売分野ではなく、年齢・世代には関係なく一定以上はいたし、今でもいるでしょう。「働く気のない人」がある程度一定の割合で存在するように、でも、そのような人々を許容できるキャパを持った社会は住みやすさから言えば最適な社会だと思う。
どうやら、堀井憲一郎が『若者を見殺しにする時代』で書いていたように「若者」というカテゴリーがマスコミ・論壇によって作り上げられ、鮭缶さんの言う「戦争なんてものは政策の失敗の帰結として生じるものだから、多少見当違いなことを言っても許される。いや戦争を誘導する力になりうる。」という事情のもとで諸悪の根元は「若者」みたいな言論風潮が流布されたのではないか、別段、そこにちゃんとしたデータがあるわけではない。
ただ、左右を問わず、「反社会化」としての(2)、(3)を呼び込むことだけは何とか避けたい。特に先進諸国において、コストがかかるし恐慌を来す。(1)ならば、アメリカのブッシュがやったように一時的であれ、国が活気づく。そういう背景があるからこそ、赤木さんのキャッチコピーは無敵に受け入れられる素地があると思う。
宮台さんを始め、左右を問わずマスコミ、言論界そのものが「反社会化」を不可触として遠ざけ、「脱社会化」を憂うことで、行き場のない「脱社会化」が(1)の戦争を呼び込むのだと「何とかせにゃあならん」と、バターナリズムで「教育」を語ろうとしているのではないか、そして、そこで若者をターゲットにする。伝統やナショナリズムが発見、用意される。
(2)や(3)に誘導することは断固としてやっちゃあいけないと言う共通認識はあるみたいですね。