クリント・イーストウッド

アメリカの友人 [DVD]Made in U.S.A. [DVD]

この二本の映画の間にどんな違いがあるというのですか? 君はどうして、クリント・イーストウッドの映画を現実主義的な映画と思うのですか? 君は彼の映画を好きじゃならしい。でも彼の映画のどこに、現実主義的なものがあると言うのですか? 新聞の三面記事のどこに、現実主義的なものがあるというのですか? 事実、不思議なのはこのことです。われわれはやっと…… 私はリアリズムをさがし求めています。私にはブレヒトに似たところがあるわけです。それに私は、よりすぐれたリアリズムをさがし求めています……クリント・イーストウッドのとは違ったリアリズムをさがし求めています。私の理想は、クリント・イーストウッドの映画をよりよいやり方でつくることなのです。でもいったいどうすれば、クリント・イーストウッドの映画をよりよいやり方でつくることができるのでしょう?/たとえば、カリフォルニアという名の場所があります。映画は、あたかも偶然からのようにー歴史というものはこうした形で進行するものですー、そこで発展をとげました。それに電子工学が発展をとげたのもそこです。電子工学というのは回路のことで、回路というのは、互いにつなぎあわされたもののことです。事実、カリフォルニアへ行くと、自分が、どんな歴史的な重みもなく、そのくせ、多くの小さな物語がつまった場所にいるという印象を強く受けます。そしてその多くの小さな物語が、カリフォルニアの力をなしているのです。多くの小さな物語は、歴史的な重みよりも強力なのです。カリフォルニアには歴史的な重みをもつ必要はありません。なぜなら、カリフォルニアは結局は、多くの物語をつくることによって歴史をつくっているからです。だから、カリフォルニアは歴史をもとうとする必要はないわけです。カリフォルニアにとって重要な唯一のことは、物語をつくることなのです。そしてわれわれはカリフォルニアから、ひとの一生をまるごとこしらえあげる一種の妖怪を見るかのような、きわめて奇妙で、きわめて強い印象を受けるのです。ーゴダール著『映画史 〓』311〜2−

その流れで、クリント・イーストウッドがカーメル市長に就任し、物語から歴史への転換があり、アーノルド・シュワルツェネッガーカリフォルニア州知事として歴史を生きているのか…

私はヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』を見ました。[……] 私が思うに、『アメリカの友人』は『気狂いピエロ』と同じくらい成功した映画です。もっとも、ヴェンダースは物語に興味をもっていません。私が彼をいくらか非難したいと思うのは、このことに対してです。私はいつも物語に興味をもっていました。私には物語を語ることができたためしがないのですが、でも物語を語りたいという気持ちはいつもあって、それに支えられてきました。私はいつも物語を語りたいと思い、それを自分のやり方で……下手なやり方で語ってきたのです。そして今もやはり、物語の語り方をさがし求めています。だからときどき、物語を別の方法でとりあつかおうとしたりするわけです。−ゴダール著『映画史 〓』313〜4−

高橋源一郎保坂和志ゴダールヴェンダースって言う構図をインプットしてしまった。でも、この構図はオカシイ。ヴェンダースって「パリテキサス」でも、「ベルリン天使の詩」でもゴダールより、物語性を感じてしまったのですから、この物語性の意味はヴェンダースはイストワールとしての歴史に興味を持っていないという意味なのか、宿題です。物語/歴史/イストワールって、どう違うのか?