田中小実昌/居候とエスケープの天才

渥美清の『フーテンの寅さん』は純愛で生真面目でストイックな悲劇性を感じるが、『フーテンのコミさん』には、一欠けらも悲劇性を感じない。平成12年2月27日、米ロサンゼルス市内の病院で肝不全のため死去した。74歳だった。コミさんらしい客死である。十年近く、糖尿病を患いながら、インシュリン注射し、酒を呑み、倒れても飴玉舐めて蘇り、余命あとわずかと、家族も医者も匙投げても、酒と旅はやめず、74歳まで、生きたということは奇跡かもしれない。『田中小実昌エッセイコレクション6巻・自伝』(ちくま文庫)によれば、従軍時代、赤痢マラリアチフス天然痘コレラまで経験して、一番、苦しくなかったのはコレラだったと回想している。彼はどんな状況であろうと、『コミマサ』している。戦争中からアプレゲールだったのです。本書は笑えるエピソードがふんだんに収載されている。その一つ、中隊長の命令で大隊本部での幹候の試験を受けさせられるが、その厳粛な面接試験場で李香蘭の『夜来香』を歌ってしまう。それじゃあ、試験官がおこるのも当たりまえである。引き揚げて帰ってみれば、牧師のオヤジが手続きして、知らぬ間に東大の哲学科の学生になっている。進駐軍で働き、ストリップ小屋、易者、テキヤ稼業で風来坊、フーテンのコミさんの旅物語は聞き飽きない、読み飽きない。コミさんが徴兵されたのは、昭和19年で、僕はこの年、呉市で生まれました。コミさんは19歳だったのです。直木賞を貰ったのが、54歳の時で、それから二十年、長生きしたのです。存分に生きた濃い贅沢な人生だったと思う。酒と映画を愛したフーテンだったけど、ちゃんと、女房、子供もいました。その奥さんが立派。この自伝のあとがきに鶴見俊輔が引用している。

/ある日、彼は妻にたずねる。/「おまえの老後は、どうなんだ?」/「私の老後? わたしの老後はわたしの老後で……あんたにはカンケイないでしょ」/ふつうの夫婦なら、女房の老後と亭主の老後はカンケイなくはないとおもうが、ぼくは理屈を言わなかった。(『もう老後』)

『アーメン父』保坂和志著『生きる歓び』保坂和志の『規範から横へ逸れて』