絵筆で呆けた町屋の旦那

◆『動植綵絵』(小学館)の生き物たちはユーモラスで、たくましく、一緒に遊び呆けて、ただただ、絵筆をふるう若冲が笑っている。八十五歳の長寿を全うしながら、その線と色との生きることのざわめきが作品全体の中で横溢する。 錦小路の青物問屋の旦那は家業より画業で、四十歳の時、弟に家督を譲って画事に専念、四十数年、絵の中で遊んだのです。生涯独身で、今風に言えば、「オスの負け犬」の典型であるが、作品という名の「かけがえのないもの」を産みだしたのです。京都の相国寺はよく行くところで、山内に承天閣美術館があり、若冲の障壁画を見ることが出来ます。最近、よく好きな画家と訊かれて「伊藤若冲」と答える若い人が増えたような気するが、かような画家を生み出した、江戸時代であれ、京都であれ、その文化の豊穣さを考えると、果たして近代とは何を生み出したのか、恐らく、飢えない文化、死を排除した“生権力”の果実でしょう。花より団子なのか、ぼくも大衆の一人であってみれば、そんな流れに抗い難いがせめて、ふと、若冲の“呆けた境地”の一端に触れたいと思うことがあります。