ブログ作法/日記にあらず、でも日記

“内田樹『ブログ「火事」について〜』”のエントリーがあり、報告とお詫びと記されている。どう言う事なんだろうと思い読んだのですが、最近、僕自身もわだかまっていたブログに対する疑問の一部が氷解しました。要は内田さんの「長屋の一住人」がネット・コミュニケーション基本的なマナー違反をしたと言うことです。詳細レポートは上のエントリーでロムしてもらうとして、一歩間違えれば、僕自身も陥りやすいネット作法だと、肝に銘じました。特に《オリジナルの記事とほとんど無関係な内容でトラバを張る事はトラックバックスパムといい最低のマナー違反の一つ》ですが、これなどは、気をつける必要がある。実を言えば、僕の場合はオリジナル記事と無内容な記事なんてという厚顔無恥さは持ち合わせていないが、先週、内田さんのブログに二回、トラバをしたのです。そうすると、内田樹経由のアクセス数が200件前後もあったのです。過去10日間のアクセス数を検証すると

2/13(229)2/12(221)2/11(419)2/10(557)2/9(339)2/8(375)2/7(285)2/6(322)2/5(251)2/4(262)

◆2月10、11日の数字が他日と比べて倍近くになっている。偶々内田さんのオリジナル記事がぼくのエントリーと関連していたので、トラバしたのです。トラバって良く知っている人でないと気を使うものだし躊躇するものです。この長屋の一住人は色々なところにトラバをしたらしい。その背景には《アクセス数一位には賞金制度のあるブログがあり、そこでアクセス数一位を獲得した》という事情があるみたい。
本末転倒ですが、過日人気ブログのランキングに言及した時もぼくはその方式に疑問を呈しましたが、似たような落とし穴が底にあると思う。あくまで、オリジナル記事の魅力を教えてくれるシステムをまず開発することでしょう。そうでないと、信頼性のある人気ブログの情報公開にはならない。しかし、内田樹サイトにトラバするだけで、こんなにもアクセスが増えるとは驚きました。他の人達にもトラバをしますけれど、桁数が二桁も違うのですから、驚きました。その反動でか、このところあまりトラバをしていません。お蔭様でこの二日間はアクセス数が半減以下です。
◆いい反省の機会になりました。ブログは発展途上なのでこうやって学習するのでしょう。他にぼくが気をつけていることは、これも学習の結果なのですが、ブログでは親記事を自分で書き訪問者が書き込むということはありませんが、HPの掲示板ではむしろ、管理人が親記事を書くよりは訪問者が親記事を書くことがそんなに違和感なく受け入れられている。僕自身もブログをやる前は、他の人のホームページに何の衒いもなく親記事を書き、時には大家さんである管理人よりはアップ回数が多かったりする。それでも、管理人のレスがあれば、喜んでもらえてと思い、回数も、アップ文字数も増えていく。最初の頃は、そのホームページの全体の流れ、コンセプトに留意して禁欲的に縛りをいれていたのが、段々とルーズになって、管理人は“廂を貸して母屋を取られる”状態になってしまう。そんな厚顔さをぼくは無意識に犯したのではないだろうかと、思い起こし始めたのです。
◆それも自分でブログをやって初めて、学習したことだと思います。いかに無名の人が親記事だけで訪問してくれる常連さんを捉まえることがいかに困難かということが身にしみてわかりました。既成のHPでそこそこに訪問者の多い掲示板でカキコする方が張り合いがあるのは人情でしょう。そうやって、ブログを始めたのはいいのですが、開店休業状態で本来なら自分のブログに書き込むべきことを従来通り、せっせと、他人のHPの掲示板にカキコする。何か、オカシな倒錯がありますね。
◆特にぼくの場合友人達はアナログ人間でHP、ブログをやっている人は殆どいない。生で人と会う方が楽しい。電話なら声が聞えるっていうわけです。ぼくがブログをやっていると言うと白い目で冷笑する。そうすると、ブログの良さを強調したカキコで実践するしかない。
◆そうすると、直接会って話せない、電話でも言わないようなこと、となると、結構折り目正しい公共性と公開性を意識したエクリチュールになる。画像とか全体のデザイン、そして日々更新していくことによって知らぬ間にある方向性に向かって流れてゆく思考の軌跡を新鮮な気持ちで眺めることもある。そういう面でブログは閉ざされたものかもしれない。公開しながら、閉ざし、その往還で僕なりの砂洲が出来上がってゆくのだろう。表に曝すことにより日記がより公共性を帯びて容をなしてゆく。おそらくブログの魅力の大半はそこにあると思う。無名のブロガーが日々更新出来る駆動力はそんな日記にあらずでも日記といった土俵の俵の上を不安定に踏ん張っている際どさであると思う。
<討論>で一番、困るのは訪問者とのやりとりでどの程度熱くやりとりするか、ぼくはHPの掲示板、ブログにしろ、討論のツールとしてはそんなに良い装置でないと思っています。討論こそアナログで相手の顔の表情を見やりながら交歓する場があって初めて成り立つものなので、ネットで特に匿名相手に熱く語れと言うのは言葉の内容以前にファイトが湧かない。そりゃあそうでしょう、ライブなリングに上がって闘おうにも相手は覆面してスクリーンに登場とは討論する気分にならない。
だから、この場を借りて、アナウンスして置きます。ネット上では討論しません。相手が討論しかけてきたら、問答無用で削除します。討論が嫌いなわけではありません。むしろ好きです。やるなら、オフでやろうと言うわけです。
◆テレビ討論なんかも、そのあたりの見切りがないですね。テレビは万能ではない。ただ、表象として優れたツールであることは間違いない。観る側にメディアリテラシーが要求されるが、それなりの想像力を補助線として接続すれば、それなりに豊富な情報量を持っているので、色々なことを引き出せるかも知れない。勿論、想像力は一朝一夕に身に付くものでなく、本を読んだり、自己との対話など、孤独な作業が長年に渡って現実との往還で生み出されるものであって、マニュアル化された決まり文句を思考停止の頭に貼り付けることではない。とにかく自分の頭で物事を考える習慣が想像力を生み出すと言った簡単なことなのです。
★本日のアクセス(878)*1

*1:予想を越えて四倍近くなっている。やはり内田さんサイトのトラバの効果は恐いぐらいです