ミシェル・フーコー

ブックオフ桜井哲夫の『フーコー』(講談社)が棚にあったので買ったのですが、本書がより購入しやすくなるように値段も下げ、内容も高校生でも読めるように大幅にかきなおして、講談社メチエ選書として出版された事情で、このハードカバーの「現代思想冒険者たち26巻」がブックオフの棚にあったのでしょう。(注:画像を添付したら2003年版がありますね、だから、ぼくの買った1996年版がブックオフに出たのか?まあ、いいや…)

なぜ、人は本当に親しくなれないのか。男同士の愛、女同士の愛、男と女の愛、多様な愛がなぜ許容されないのか。なぜ、人はこんなにも苦しい人生を送るのか。なぜ人はわかりあえないのか。饒舌なおしゃべりがどれだけ続こうとも、なぜこの強烈な孤独感は癒されないのか。なぜ人は自由でないのか。/フーコーの思考は、少なくとも、彼の個人的な人生の苦悩と無縁ではなかった。ホモセクシュアルであることが異端であり、恥ずかしいことであるとされる社会のなかで、おのれの性的嗜好が、なぜ恥とされるのか、というフーコーの煩悶は、最後まで彼の思想の原点でもあった。極東の地に生きるわれわれが、二十世紀末の今、なぜフーコーについて語る必要があるのか、といえば、彼と同様にわれわれもまた、苦悩の生を送っているからである。人と人との間に成立しない友情、殺しあう民族、強制収容所と虐殺の二十世紀、われわれは、途方にくれたまま、来世紀を迎えようとしている。/近代社会がいかに人と人との絆を破壊したのか、いかに生きる作法や生きるための美意識を消滅させたのか、いかに人の内面への管理が進展してきたのか、なぜ、われわれは、学校や会社に毎日通うことを当たり前だと感じるようになったのか。

そんな問題意識で桜井さんはフーコーにアクセスするのです。