プッチーニ
ジャコモ・プッチーニの歌劇≪トゥーランドット≫全曲、DVDで鑑賞しました。観終わってうっすらと涙ぐんだので、ああ、オレはまだ、“感じる男”だと、ほっとしました。最近は“感じない”っというところから、社会を語る身振りが何事かを分析し、性犯罪、社会問題の解決の糸口になるんだと、声高に語る胡散臭さに辟易していたので、ある覚悟さえあれば、世界を単純に信じていいんだと、意を強くしました。自分の与り知らぬところから、他罰的に“感じない”ことを語ることでなく、ささやかなことでいい、“感じる”ことに触れたい、見たい、語りたいと思いました。“感じない”鎧で見過ぎ世過ぎをすればいい。そういう連中は多数でしょう、そんなもんです。分析しなくとも、わかっている。そんなに嫌なら、“感じる”を見つけようとすればいい。臆病にもそれをしないで、“感じない”を分析することで、“感じない”ことを弾劾したつもりになっている。そんな人は“感じない”が居心地がいいのでしょうね。一冊の小説でも感じることが出来る。映画でも、音楽でも、歌劇でも、一枚の絵でも、写真でも、猫でも、犬でも、一人の人でも、その時間と空間が掛け替えのないものでしょう。わざわざ、“感じない”ものを渉猟して彷徨う愚は出来るだけ回避したいものです。
- 制作:1987年4月メトロポリタン歌劇場におけるライブ録音
- メトロポリタン歌劇場合唱団 メトロポリタン歌劇場管弦楽団 指揮:ジェームズ・レヴァイン 演出・装置:フランコ・ゼッフィレッリ トゥーランドット姫……エヴァ・マルトン(ソプラノ) リュー(若い女奴隷)……レオーナ・ミッチェル(ソプラノ) ティムール(退位したダッタンの王)……ポール・プリシュカ(バス) 名を秘めた王子(カラフ)(ティムールの息子)……プラシド・ドミンゴ(テノール)
- 参照:音楽よもや話しのトゥランドットのよもや話し
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