隆慶一郎♪希望の「冬ソナ・三味の音」♪

kuriyamakouji2005-03-25

「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く
◆某ブログはコンセプトが“かくれ里”みたいなので、赤裸々に紹介しませんが、そこのエントリー「冬の悪関係」で、隆慶一郎氏のことを考えてしまいました。僕の持論はある掲示板でも書きましたが、コミックになっている『花の慶次』(集英社コミック)やデビュー作『吉原御免状』を始め、隆慶一郎の世界はNHK大河ドラマの宝庫ではないかと言うことです。「冬の関係」は色々なところで取り上げられている山田昌弘著『希望格差社会』(筑摩書房)についてのコメントなのですが、ブロガーは≪ぼくの図式では、90年代以降の日本は、近代化の第四段階に入ったと考えている。これまでにない社会状況が生みだされている、それが90年代以降である。≫という歴史認識があるのです。
山田昌弘氏も1998年を分水嶺としている。「リスク拡大」と「二極化」がグローバリズムの波に翻弄されて益々進展、深刻化するとの見立てで、避けることの出来ない『希望格差社会』の絶望を分析しているらしい。と曖昧に書きましたが、実を言えば、この評判の本は昨日、図書館で借りたばかり。でも、去年から僕のブログでも取り上げ、色々の人達のコメント、レビューを聞いたり読んだりしたもんだから、「既知感」があって、『希望格差社会』て、当然のことで、今更、言われなくとも実感としてもわかると、読むことを先延ばしにしていたのです。そもそも、1998年以前の僕と、それ以降の僕とでは変な言い方ですが“認識的断絶”があります。良くも悪くも生まれ変わった気がします。1998年の誕生日にヘソ下三寸を開腹したのですから…(笑)。僕が読みたい知りたいことはそんな『希望格差社会』の絶望でなく希望を見出すことのヒントです。そう「冬のソナタ」の希望です。ブロガーの本書のコメントにそんな“希望の調べ”(仮説)があったのです。それで、急遽、図書館で借りたというわけです。そのキーワードは「悪場所」「悪関係」です。アジールな場所でしょう。すなわち、「希望格差社会」が拡大したこの七年間であったが、一方で自前のネットワーク、自前の祝祭が一挙に登場してきた社会でもあるという認識なのです。これらを、「希望格差」を補填する社会運動として評価するのです。しかし、これらは近代というフレームの中での「悪場所」、「悪関係」ではないのかという疑念が僕にはありますが、ブロガーはそれらは制度の外に形成されたものだとして捉えている。
◆廣末保の「悪関係」=「持続する非日常的な関係」という視点を紹介している。「持続する非日常的な関係」は、まあ、言って見れば、昼間会社勤めをしながら、日常にどっぷりつかって、帰宅すれば、部屋に閉じこもって小説書きに励む。別に創作でなくてもいいのですが、全く、別の世界を持つことで、『希望格差社会』の閉塞感に希望の補助線を入れるということでしょう。随分、昔に読んだのに、僕は唐突ながら、、冒頭の『吉原御免状』の三味線の音を聞いたというわけです。『吉原御免状』を読んだきっかけは栗本慎一郎のレビューだった記憶があります。経済人類学者としての彼を刺激するものがあったのでしょう。61歳にして始めて小説を書いたのです。辰野隆小林秀雄とのエピソードも沢山あり、単に時代小説という枠組みで収まらない面白い人だなぁと思い、その後、追っかけて読んでいったのですが、余りにも短い小説家人生でした。享年66歳。
参照:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0169.htmlikedakai.com - このウェブサイトは販売用です! -&nbspikedakai リソースおよび情報